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絶望的なまでに卑俗な愛のドラマ ――『ハネムーン・キラーズ』をめぐって――

●なぜ、『ハネムーン・キラーズ』はこれほどまでに嫌われたのか

 「無礼な手紙を何通か受け取った。友人も何人か失った。もう言葉をかけてくれなくなったんだ。私がこんな映画を作ってしまったことを信じたくなかったんだね」。

 映画公開後に行われたあるインタヴューで、監督のレナード・カッスルはこう語った。

 女性映画評論家ポーリン・ケイルは嫌悪を露にして「なんという身の毛のよだつ映画。誰にもお薦めしない」と書いた。

 しかしこの『ハネムーン・キラーズ』という作品、公開時におけるアメリカ本国での評判は概ね上々だったという。もっとも、『ニューズウィーク』と『シカゴ・トリビューン』の二誌では不評だったとか。特に『シカゴ・トリビューン』の批評家は上映半ばで席を立ち、後に担当欄に「これは耐えられないほど破簾恥な見せ物だ」と書いた。この人物、それから一ヵ月後にある映画の脚本を執筆した。監督の名はラス・メイヤー、映画のタイトルは『ワイルド・パーティー』(70)といった。

 それは、目まぐるしいモンタージュで変転する極彩色、裸の女たち、レスビアンと猟奇殺人と大量の血糊が登場する、俗悪の極みのような作品であった。その脚本を執筆した批評家とは、メイヤーと共同で『ワイルド・パーティー』の原案と脚本を担当したロジャー・エバートのことだ(脚本のクレジットにはエバートの名のみ挙がっている)。エバート自身の証言によると、メイヤーと彼はオリジナル・ストーリー(ジャクリーヌ・スーザンの原作小説『人形の谷間』とマーク・ロブスンによるその映画化『哀愁の花びら』の物語。『ワイルド・パーティー』はこの姉妹篇)にあったセンセーショナルな要素を激しく誇張することにし、20世紀フォックスのデイヴィッド・ブラウンに「これは最初のセクスプロイテーション=ホラー=キャンプ=ミュージカルです」と説明したという。

 企画自体は時流に迎合した軽佻浮薄で多分にゲテモノ的なものだった。そんな映画をセクスプロイテイション監督と作っていたエバートが、なぜ『ハネムーン・キラーズ』には音を上げたのか。

 

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