アメリカでの初公開時には暴力映画とポルノ映画の配給網で公開されてしまったという『ハネムーン・キラーズ』も、同じくゲテモノ視されていたのだが、作品の性質は『ワイルド・パーティー』とは正反対だ。裸はなし、性倒錯もなし、ロックもなし、可愛い女の子もなし、血はほんの少しだけ流れる。だが観る者をガンガン殴りつけてくるような衝撃がある。

 実際、露出オーバー気味にギラついた、画作りへの配慮を無視した落ち着きのない画面の連続を観ているだけで頭が痛くなってきそうだ。見たくないものを無理矢理突きつけられ、何とも知れぬ不快感に浸り続けなくてはならないはめになり、己の道徳観、倫理観と無意識裡に葛藤を演じなくてはならなくなるような映画。人はそんな映画を嫌う。映画とは簡単に個人的好悪で判断されるもの。客観的判断が停止してしまう瞬間がどこにでも潜んでいるもの。往々にして冷静さを奪い去られてしまうもの。そして、『ハネムーン・キラーズ』は……。


●そして、『ハネムーン・キラーズ』は、なぜ作られることになったのか

 ここで話は遡る。

 1960年代末のこと、NBCテレビのプロデューサー、ウォーレン・スタイベルは、1940年代に案在した殺人鬼カップルを題材にした映画を一本製作しようとしていた。60年代初頭にオペラ放送の制作をしていたスタイベルは、そのときに音楽とリブレットの一部を書いていたオペラ作曲家レナード・カッスルに、事件についての調査を頼んだ。もっとも、その前(68年)にスタイベルは、いったんある若手監督を雇って撮影を始めていたのだが、一週間後に解雇していた。その監督の名はマーティン・スコセッシ。スコセッシが処女長篇『ドアをノックするのは誰?』(69)を発表する前のことだ。

 カッスルは15日間かけて、裁判での口述を始めとする事件に関するあらゆる文献を読んだ。そして、自ら脚本を執筆することにした。スタイベルはカッスルに、トリュフォー、アントニオーニ、パゾリーニ作品の脚本を送って参考にさせた。カッスルは脚本を最初から最後まで順番通りに撮影できるのなら、という条件付きで演出も引き受けた。

 出演者には、基本的にプロの劇団俳優が起用されたが、ある程度名前と顔を知られていたのはテレビの連続ドラマに出演していたレイ役のトニー・ロー・ビアンコだけだった。実在のマーサと同じ肥満体型のシャーリー・ストーラーは、グリニッチ・ヴィレッジの「カフェ・ママ」で仕事をしていた。犠牲者を演じた女優たちは、老女ジャネット・フェイ役のメアリー・ジェイン・ヒグビーを除いて全員オフ・ブロードウェイ出身。ヒグビーは元ラジオ番組の声優で、当時すでに引退していたが、カッスルは友人宅で彼女と出会い、その声に魅せられて映画への出演を依頼した。
 

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