こうしてクレインは、いわば「記憶中毒」となっていくわけだが、もう一つ、彼が追体験する記憶の持ち主が、おしなべて殺された人間だという点も見逃すことができない。既に死者となった男(ウィリアム・ホールデン)が、自らの死体をプールに浮かばせたまま過去を回想する『サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー、50)という映画があったが、この『アンフォゲタブル』では主人公が生きたまま、複数の殺された(あるいは生ける屍、植物人間となった)他人の記憶を追想する。そしてその死者の持っている最も強烈な記憶、つまり殺しに関わる記憶を自らの内に見ていくのだ。つまりクレインは、他人の記憶を自分の内に再現する度に、何度も何度も、記憶の中で殺し、殺されることになるわけである。クレインが遂行する捜査の不吉で病んでいて危険な性質は、他人の記憶を自分の中に蘇らせている間、専ら死体のように横たわっているだけの彼自身の姿に端的に表現されていると言えるだろう。更に映画は、マーサが実験に使った鼠が死んでいるショットを示すことで、彼が最後に本当に死んでしまうのではないかという不安をいやが上にもかきたてる。クレインは、自ら死の危険を犯して他人の記憶を覗き見ようとすることで、死者たちに、あるいは死そのものに取り憑かれてしまうのだ。亡霊に取り憑かれた恐怖映画の登場人物のように。実際彼は、ドラッグ・ストアで射殺された美術学校の女生徒の記憶を追想した後、彼女を殺した凶悪犯の似顔絵を見事に描いてみせるほどに絵が上手くなっていたりするのである。だが実は、逆にクレインの方が死者たちに乗り移っているのかもしれない。なぜなら、彼は死体を見つける度に、死体の脳髄液を盗み取り、その死者たちに次から次へと乗り移って記憶を覗き見ていくようにも見えるからだ。死者の記憶を追想したクレインが意識を取り戻すシーンの連続を見ていると、彼が一旦死体となった後、再び蘇生しているように思えてはこないだろうか。
 
 映画は徐々に、いくつもの記憶とクレインの幻想が絡み合う、複雑怪奇な状態に陥っていくのだが、クレイン自身は結局死者となることからは免れ、記憶の迷路に出口を見いだすことができる。妻殺しの謎が明らかになった後、意識不明の重体となったクレインが病院のベッドに横たわったまま、自分の記憶とも幻想ともつかない夢の中で歩き去って行く妻の姿を見るとき、遂に彼は過去の思い出から解放されたかのように見える。しかし彼と二人の娘が歩いて行く後ろ姿を見送る最後のショットは、やはりどこかしら観客に不安を残す、永久に悪夢の中から抜け出られないような、フィルム・ノワール(あるいはSF/ホラー映画だろうか?)特有の曖昧さに満ちているのである。


初出:『アンフォゲタブル』劇場公開用パンフレット(1997年発行)

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