パヴェル・イラスが語るチェコ現代映画史

●チェコ・ニューウェイヴ

 私は1962年からずっとバランドフで働いています。1959年に始まった、いわゆる「チェコ・ニューウェイヴ」の全盛期でした。世代的に近いこともあって、「チェコ・ニューウェイヴ」の監督たちに関してはたくさんの思い出があります……エヴァルト・ショルム(1931年~1988年)とは長いつき合いで、芸術に対する考え方が同じだったこととか、ヤロミール・イレシュとの思い出もあります。それにカメラマンのミロスラフ・オンジーチェクとも長くつき合っていますね。もちろん仕事上、ミロシュ・フォルマンやイジー・メンツェルも知り合いです。「チェコ・ニューウェイヴ」というのはFAMUにいた生徒を中心に興ったものだと思ってください。FAMUの生徒たちは在学中から、現場を経験するためにバランドフに通っていました。しかしバランドフで行われていた、当時まかり通っていた(賞賛されていた)美学に基づいて映画を撮ることに疑問を感じたのです。つまり、思想的な支えに基づいて映画を作るというやり方に反対したわけです。ですから、自分たちで好きなように映画を撮りはじめたことで、新しい映画が生まれるようになったということです。

 「チェコ・ニューウェイヴ」の独自性は、人間の運命に対する新しい観点を表現した点にあったと思います。人物の描写はあっても、英雄(ヒーロー)が現れることはありません。例えば問題を抱えた人や何か必要に迫られた人が出て来るとか、なんでもないことを表現したということだと思います。ヴェラ・ヒティロヴァーの「もうひとつの生活」(63、未)などもそのような作品です。「ニューウェイヴ」以降のチェコの映画には醜さやマイナス面が表現されるようになりましたし、凡人で例えば太った人が登場したり、汚い洋服を着ている人が登場することもあります。こういったユーモアやグロテスクというのが、特徴ではないでしょうか。消防士が主人公の『火事だよ!カワイ子ちゃん』(フォルマン、67、未)なんかもその典型だと思います。それぞれの国もしくは民族には特徴というものがあると思いますが、チェコの場合はユーモアだというわけです。背の低い日本人が柔道や空手などを考えだしたように、様々な歴史を乗り越える中で、チェコ人にはそのような特徴がうまれたのです。

●映画学校との関係

 バランドフと学校との結びつきが強かった一つの理由は、社会主義イデオロギーが新しい世代を育て上げるのだという思いが(共産党に)あったからでした。ただしうまくはいきませんでした。彼らはイヴァン・パセルのような人物が出てくることを予測できなかった。パセルは映画学校に行くために、最初に労働者になるという道を選び、その後に映画学校へすんなり入学することができました[当時は労働者が大切にされたので、大学へ行くにも、行った後も、労働者の経験があった方が、何かと暮らしやすかった]。こういったことを、彼らは「体をタフにする」という言い方をしていました。若干の若者は、あえて労働者になり、目標の学校へ行こうとしましたし、そうすると監督になってからも、早くに映画を撮ることができるなど、いわば優等生扱いされました。しかしこのような道を経た者が、共産党の思い描く映画を作ったかというと、そうではありませんでした。他にも例えば、高校の最後の卒業試験を受けずに労働者になった人が、才能があるということで映画大学に入ることができたということもあったのです。パヴェル・ユラーチェクはそういったプロセスを経た映画人です。FAMUで素晴らしい才能を開花させたユラーチェクの両親は、二人とも労働者で、彼も卒業試験を受けずに済みました。

 卒業作品を含め、映画を作るということに関しては、もちろん学校時代にやり始めることですが、その後は、大体短編を一、二本製作して、作品を上映するにふさわしい才能があるかどうかを判断してから、長編を作らせるという流れがありました。とはいえ、例えばチェコの名監督オタカル・ヴァーヴラの下で学んだ学生たちは、はじめから長編映画に取り組んでいました。しかし、ニューウェイヴの有能な人たちによる映画だけではなく、いわゆるプラハの春以降も、チェコでは本当に素晴らしい作品が作られたのです。もちろん世界的に知られているものではないですが、力強く、重要な、そして面白い映画がうまれたと思います。例えばヴラーチルの映画のような。ヴラーチルは映画学校を出た監督ではなく、ブルノの大学で美学を学んだ人ですが、軍隊のために短編映画を作り、その後素晴らしい監督になりました。黒澤明の友人でもあった彼の映画は壮大です。他にもイジー・クレイチーク、マルチン・フリッチュ、カレル・カヒニャといった監督も素晴らしい映画を作った人だと思います。カヒニャの『シュマヴァの王』(59、未)はドイツとチェコの国境を舞台にした話で、今からみるとプロパガンダ映画で内容はよくありませんが、映像の美しさはほんとうに素晴らしく、チェコの宝だと思っています。イデオロギーと映像の関係でいえば、レニ・リーフェンシュタールの映画も同じではありませんか。

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