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『女鹿』をめぐって

●製作背景

 『女鹿』は1968年から1971年までにかけてシャブロルが監督した六本の作品群──シャブロル監督作中最良の映画群に数えられる『女鹿』(68)、『不貞の女』(69)、『野獣死すべし』(69)、『肉屋』(70)、『破局』(70)、『夜になる直前』(71)──の、最初の作品にあたる。これらの作品の製作を手掛けたのは、当時まだ20代後半だったアンドレ・ジェノヴェ。ジェノヴェはこの後も、『十日間の不思議』(71)、『ジャン=ポール・ベルモンドの交換結婚』(72)、『血の婚礼』(73)、『ナーダ』(74)、『汚れた手をした無実の者たち』(75)といったシャブロル作品をほぼ連続的に製作する。

 自身のキャリア上、最も輝かしい時期といえるこの四年間をどのようにして迎えることになったのか、シャブロルは以下のように説明している。 
 「私の最初の三本の映画(『美しきセルジュ』『いとこ同志』『二重の鍵』)はかなりの成功を収めました。そして、その後四本のひどい大失敗(『気のいい女たち』『ダンディ』『悪意の眼』『オフェリア』)を喫しました。それで注文仕事をこなさなくてはならなくなったのです。『虎』シリーズのような映画をね。有益な経験でしたよ。また自分の作りたい映画を撮れるようになったときに、ああいった映画を作っていた際に学んだことを活かすことができましたから。もっと早く仕事ができるようになっていたんです。次から次へと映画を作ってね。順調だったんですが、後にまずいことになりました。製作者のアンドレ・ジェノヴェが誇大妄想でおかしくなってしまったのです……でもそれ以外はうまくいきました。自分のやりたいことをできる可能性が与えられるのは、素晴らしいことです。しかししょっちゅう自分の望むことをできるとなると、怠惰になってしまうかもしれない……」。
 
 シャブロルはまた、『女鹿』がキャリア上のターニング・ポイントになったことを認めている。「『女鹿』は、まさに自分の望む通りに作ることのできた最初の映画でした。初めてジェノヴェと組んで作った映画──ギリシアで作った『コリントの道』──ではぞっとするような経験をしましたが、彼は続いて『女鹿』でも私と組みました。自分の使いたい俳優を起用できたし、思い通りに作ることができました。映画が成功したので、ジェノヴェは“三本目を作るのも悪くないよな……”と私に言いました。それでまた組んだわけです」。

 

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