シャブロルはトレモラの住人たちにかなりの好感を覚えたようで、『肉屋』の冒頭には「ペリゴールのトレモラの住人たちに捧げる」との献辞が出る。また、映画自体も、村の日常生活をなるべく虚飾を排してとらえようとしているように見える。劇中、周辺地域で殺人事件が起こっても、住人たちが騒ぎ立てる様子がことさらに強調されるわけでもない。トレモラでの経験に関し、シャブロルは「[田舎では]さまざまな出来事が人々の人生を引っ掻き回すことはごく稀なのです。一般に、人々は普通に生活し続けています。夕方に集まってぺちゃくちゃしゃべる善良な老婦人たちがいるなんてのは、まったくのでたらめです……」と語っている。また、老婦人たちが会合するとしたら、チーズを食べながらトランプ遊びをするためであって噂話をするためではない、とも言っている。「村長の話によると住民が500人いるようですが、私たちが目にしたのはいつも同じ50人でした。私たちはその村を、何ら手を加えることなくあるがままに撮りました。あの肉屋は実際に存在したのです」。ちなみにトレモラの人口は、『肉屋』撮影前年にあたる1968年には566人だったとの記録がある(2005年には656人とのことで、近年もほとんど人口は増えていないことがわかる)。

 主要登場人物たちを発想した経緯に関しては、シャブロルはこう語っている。「私は[宗教教育を行なわない]公立小学校にずっと興味を持っていて、小学校の新米教師たちを描いた映画を作りたいと思っていたこともあります。肉屋のことを思いついたときから、私は女教師を一人登場させたいと思っていました」。そして、米映画『マーティ』(デルバート・マン、55)を作り直そうと考えたと語っている。つまり、「善良な肉屋が女教師に惚れたといった、『マーティ』の中にあった馬鹿馬鹿しいことを全部」作り直そうとしたのだった。

 『マーティ』はパディ・チャイエフスキー原作によるテレビドラマを映画化した作品(映画版の脚本もチャイエフスキーによるもの)。低予算による製作だったが国内外でヒットし、1955年のオスカー最優秀作品賞と、カンヌ映画祭パルム・ドールを受賞した。主人公は、ニューヨークのブロンクスにある肉屋で働いている、誠実だが美男にはほど遠い34歳の青年マーティ・ピレッティ(アーネスト・ボーグナイン)。マーティは母親と二人暮しをしている独り身の境遇で、内気なために恋人もできない。ある日のこと、友人とダンスホールへ出かけたマーティは、パートナーに置き去りにされた学校の女教師クララ(ベッツィ・ブレア)と出会う。同じく風采が上がらないために孤独を味わってきたクララとマーティは、急速に親しくなる……といった恋愛人情劇で、もちろん『肉屋』と共通するのは肉屋勤めをする独身の主人公と、学校教師をしているヒロインという設定のみ。しかし『マーティ』と『肉屋』を並べてみると、一つの前提から正反対の方向へと分岐した二本の双児的作品のようにも見えてくる。

 また、もう一つの参照項として、シャブロルは映画『雨の訪問者』(ルネ・クレマン、70)も引き合いに出している。すなわち、『肉屋』は『雨の訪問者』とは正反対の映画である、と。この場合は、『雨の訪問者』のストーリーを確認すれば発言の真意は推測できる。主人公は、ある夜見知らぬ男にレイプされた末、その男を銃殺した人妻メリー。翌日、メリーは友人の結婚式で怪しげなアメリカ人ドブス(チャールズ・ブロンソン)と知り合う。ドブスはなぜか彼女の犯した殺人を知っており、その秘密を強引に聞き出そうとする。ヒロインと観客双方の疑念が深まってゆくが、実はドブスはメリーをレイプした男(ドイツの営倉から脱走した連続強姦魔)を追って秘密捜査を行なっている合衆国陸軍大佐だった、という展開が『肉屋』と対称をなすような形(どちらもスリラー映画の体裁を取りながら、親切な男が実は連続殺人鬼だったという展開と、怪しげで乱暴な男が実は正義のヒーローだったという展開の、プロット上の対称性が見られる)になっているためだと思われる。
 

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