ドロンとメルヴィルと腕時計の関係


 
フランス人俳優アラン・ドロンは若かりし頃、美男の代名詞的存在だった。現在ドロンは映画俳優業をほぼ引退してしまっているけれど、自身の名をブランドに冠した各種製品を世界中で販売する実業家として活躍し、いまだその知名度が衰えていないことを証明し続けている。1970年代末期、彼は自身の奢侈品販売会社を立ち上げ、香水販売で大成功を収めた。以来、酒類、眼鏡、煙草、衣類といったドロン・ブランドの製品が続々と世に出たのだが、その中の一つに腕時計がある。

 ドロン・ブランドの香水には、“Samouraïサムライ)”という商品名を持つものがあり、わが国でかなりの売れ行きを記録した。この香水は、彼がかつて共演した三船敏郎にちなんで発想されたものだという。加えてもう一つ、ドロンが主演した犯罪映画『サムライ』(67)のイメージも、そこには重ねられていたはずだ。

 『サムライ』の極端に口数が少なく、几帳面で冷静沈着なプロの殺し屋ジェフ役は、ドロンがその輝かしい映画人生で演じた役柄の中でも、とりわけ観客に強烈な印象を与えるものの一つだろう。映画の中で俳優の存在感を際立たせるには、彼(彼女)の魅力をより一層輝かせるための、映画ならではの世界観の構築が不可欠だ。『サムライ』でそれを見事にやってのけたのが、監督のジャン=ピエール・メルヴィル。完全主義者の殺し屋の孤独を日本の武士道精神に重ね合わせた、緊張感に満ちた静謐な世界。メルヴィルがそれまでの作品で追求してきた独自の美学が、『サムライ』である意味極まった感がある。彼が俳優ドロンにほれ込み、メルヴィル作品を高く買っていたドロンが監督の期待に十全に応えてこそ、この傑作は誕生した。

 『サムライ』のジェフは、時にトレンチコートにソフト帽、時にスーツを完璧に着こなす“ダンディ”の見本のような存在だ。けれど彼の身なりには、一つだけ奇妙な点がある。それは腕時計の身に着け方。通常のように左手首の外側に時計の文字盤がくるように着けるのではなく、右手首の内側に文字盤を向けているのだ。そして、『サムライ』に続いてメルヴィルと組んだ犯罪映画『仁義』(70)でも、ドロンは同じやり方で腕時計を着けている。寡黙で他人と打ち解けない犯罪者ならではの精神状態、堅気とはあべこべの世界の住人を象徴的に表現しているのだろうか。いずれにせよ、ドロンは他の監督の作品に出演するとき、こんな風に腕時計をしていないのは確かだ。

 ドロンと組む以前のメルヴィル作品を確認してみよう。『いぬ』(63)で、暗黒街の住人ジャン=ポール・ベルモンドは、トレンチコートにソフト帽という『サムライ』のドロンの原型的ないでたちをしながらも、腕時計は「左手首・文字盤外側」スタイルだった。『マンハッタンの二人の男』(59)でも、新聞記者役で自身主演を兼ねたメルヴィルは腕時計をこの通常スタイルで着けている。

 ところが、『勝手にしやがれ』(60)に監督ゴダールの要請でゲスト出演したメルヴィルは、後のドロンと同じく「右手首・文字盤内側」スタイルで腕時計を着けているのだ。メルヴィル自身が被写体となった何枚かの写真や、生前の取材映像でも彼は同じやり方で腕時計を身に着けている。恐らく『勝手にしやがれ』における腕時計着用スタイルこそ、メルヴィルの流儀だったのではないか。ならば、メルヴィル作品のドロンは監督の分身となるべくこのような特異な腕時計の着け方をしていたとみなす方が、腕時計の着用法に象徴的意味を読み取るよりもしっくりくる。実際、ドロン=メルヴィル最後のコンビ作『リスボン特急』(72)を見ればそれは明瞭だ。同作でドロンは前二作と正反対の役柄(刑事)を演じているにも関わらず、腕時計に限ってはやはり「右手首・文字盤内側」の決まりを遵守しているのである。ここでは、腕時計の使い方が監督と俳優の友情の証しとなっているのかもしれない。


初出:『CHRONOS FEMME
 クロノス ファム』1号 2012年3月
 

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