溶ける時計の謎


 
スペインが生んだ“シュルレアリスム(超現実主義)”の代表的芸術家といえば、サルバドール・ダリ。このダリが生んだ多彩な作品のなかで、最も有名なものの一つに、『記憶の代償』と題された1931年完成の絵がある。何が描かれた絵か、覚えておいでか。荒涼とした風景の中に、ごつごつした岩塊、木箱あるいは木台のような物体、枯れ木、眠っているのか死んでいるのか判然としない(閉じられた大きな目に長い睫が生えているように見える)横たわった生物めいたモノ。こんな具合にカンバス上に描かれている要素を描写してもおわかりいただけないかもしれないけれど、加えてここにはグニャリと溶けた懐中時計が木箱=木台、枯れ木、生物(?)にそれぞれ垂れ下がっていると言ったら、膝を打つ人が多いはずだ。


この奇妙な形象は、いったい何をあらわしているのだろう。睡眠時の時間体験? 夢見る者にとっての時間的持続? つまり歪曲した時間? もっとも、作者本人に答えを求めてもはぐらかされただろうし、そもそも「正解」への欲求自体がこの絵を味気ないものにしてしまうのは確かだ。

 2003年にディズニー社が『運命』と題された短編アニメーション映画(ドミニク・モンフェリー監督)を製作し、同作は各国の映画祭で上映された。この作品は1945年頃に、ウォルト・ディズニーがジョン・ヘンチ(ディズニーがその才能を高く買っていたスタジオ専属アーティスト)とダリに描かせたストーリーボードに基づいて製作された映画なのだ。実はヘンチとダリのコンビは、自分たちの『運命』を完成させることができなかった。第二次大戦直後のことで、ディズニー社は財政難に陥っていて、製作資金を捻出することができなかったからだ。

 映画は、時の神クロノスと死すべき運命にある人間の女性とのかなわぬ恋を、台詞に一切頼ることなく描いている。この女性が踊り続けながら、ダリの絵画作品から採られた風景の数々を通り抜けるのが『運命』の視覚的コンセプトなのだが、そうしたダリ的意匠の中に例の時計も出てくる。もちろんこれは動画作品だから時計も動くのだが、この動きがどう処理されているかというと予想通りというか、固形物(岩山に彫り込まれた時計のレリーフ)が溶解・液状化してドロドロと流れだし、それがヒロインの手首にまつわりついて再び固まると、かたちの歪んだ腕時計と化しているといった塩梅なのだ。時間とは終点=死に向かって直線的に進みつつ人間を蝕むものなり、との平明な解釈にダリの独創性が奉仕させられているような感じではある。

 『記憶の代償』に話を戻すと、柔らかくなった時計は「空間と時間の相対性」の無意識的象徴──秩序の崩壊をめぐるシュルレアリストの夢想──であるとする解釈もあるようだ。これはつまり、ダリがアインシュタインの相対性理論を自作に援用したとする見解なのだが、ダリ自身はこれを否定していて、「太陽の熱で溶けたカマンベールチーズ」から発想したのだと語っている。

 ところで、ダリと『アンダルシアの犬』(28)を共作した映画監督ルイス・ブニュエルは、『わたしが時計をしないわけ』と題した小咄(※)をある雑誌に発表している。話は、語り手「わたし」の目前に奇妙な風体の「時間」が姿をあらわすところから始まる。「時間」は自らの人生を時計の発明以前と以後に分け、前者に郷愁を覚えている。彼は「アインシュタインという例のとんま」が言い出した「相対性理論というやつ」を心底憎んでいる。会話を続けるうちに「わたし」と「時間」は喧嘩を始め、怒った「時間」は「わたし」の所有する時計をすべて変形させ、機能不全にしてしまう。そのため「わたし」は約束の時間を裏切っては友人を失くすはめになる……この作品が発表されたのは1923年(つまり『記憶の代償』の8年前)のことだが、どこかダリの絵を予告しているようなところがないだろうか。



※『ルイス・ブニュエル著作集成』(杉浦勉訳、思潮社)に収録。



初出:『CHRONOS FEMME
 クロノス ファム』9号 2013年7月
 

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