からくり時計をめぐる因果


 
キャロル・リード監督の名作『第三の男』(49)には、オーソン・ウェルズ演じる魅力的な悪党ハリー・ライムが、旧友に向かって唱える有名な「カッコウ時計」の台詞がある。「こんな話があるだろう──イタリアは30年間ボルジア家の支配下にあり、イタリア人たちは戦争、恐怖、殺戮、流血に見舞われた。だが彼らはミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてルネサンスを生み出しもした。スイスには友愛があり、500年間にわたって民主制と平和が続いた──それで、何が生まれた? カッコウ時計さ」。

 実際、イタリアで15~16世紀に悪名高いボルジア家が栄えていたのとほぼ同じ頃、スイスではジュネーヴに亡命してきたユグノー(フランスのカルヴァン派新教徒)が時計製造の技術を持ち込んだことで時計産業発展のきっかけを作ったとされる。もっともこの台詞が語る「歴史」は明らかに極論だと言って良いものだし、ルネサンス芸術と時計を比較するのもフェアな姿勢とは言い難い。

 ところでハリー・ライムの「カッコウ時計」をめぐる台詞はこの映画の原案と脚本を担当したグレアム・グリーンが書いたものではなく、ハリー役を演じたウェルズが自ら考案したものだそうだ。ウェルズはこの台詞を書くにあたって、アメリカ人画家J・A・M・ホイッスラーの美術講義録を参照したようだ。ホイッスラーはその講義のなかで、スイスは水車小屋のかたちをしたカッコウ時計ぐらいしかない平和な国だから、悪代官ヘルマン・ゲスラーを倒したウィリアム・テル伝説が生まれたのだとほのめかしている。ゆえにハリーの台詞がホイッスラーの発言に寄りかかったものであることは間違いないのだが、この見解は二重の意味で「間違い」を含んでいる。一つ目。『第三の男』公開後に、ウェルズはスイスから手紙を受け取った。そこには、「スイスではカッコウ時計は作っていない。その産地はバヴァリアのシュヴァルツヴァルトである」と記されていた(現在は製造しているようだが)。二つ目。イタリアでボルジア家が隆盛を極めていた頃、スイスはヨーロッパ中で最も強力な軍事力を誇っており、現在同国をめぐって抱かれている平和な中立国との通念からはほど遠い国だった。

 そんなわけで、この台詞はいくつもの誤解や偏見によってかたち作られたものであることが明らかになってしまっているのだが、それでもこれが今に至るも「名セリフ」として人々の脳裏から去らない事実には、紋切型の強みというか、すでに確立されてしまったイメージを補強する方がそれを覆すよりもずっと容易であることの好例を見いださずにはいられない。

 『第三の男』に出演する三年ほど前のこと。ウェルズは『ザ・ストレンジャー』(46)という一風変わったスリラー映画の監督と主演を兼任している。ウェルズによればこの映画で彼は完全な雇われ監督だったらしく、後年「最も愛着の薄い一本」とまで言い切っているのだが、なかなかどうして魅力的な細部に溢れた映画だ。主人公は、ナチ党員であった過去と本名を隠してアメリカの私立校で教師を務め、米人女性と結婚して子どもまでもうけている男フランツ(ウェルズ)。自己同一性を偽って潜伏している彼を、連合国戦争犯罪委員会の捜査官ウィルソンが追う話だ。この映画で面白いのは、ウィルソンがフランツを見つけ出すための手がかりとするのが、この元ナチ党員が抱いている時計に対するオブセッションである点。その関係で、劇中随所に時計が登場するうえ、クライマックスの舞台となるのは巨大なからくり時計塔となる。

 映画はこんな具合に終わる。ウィリアムズに追い詰められたフランツがこの塔の頂上まで逃げのび、時計の巨大文字盤の前までやってきたとき、鐘が真夜中の12時を打つ。するとその鐘の音に合わせて機械仕掛けの等身大の自動人形が文字盤の周囲で回転し始め、甲冑姿で剣を構えた人形が逃げ場を失ったフランツを串刺しにしてしまうのだ。ここではおそらく、時計が具体的にして隠喩的な道具として活用されている。時計が劇中随所に登場することで、時計(時間)に囚われた男フランツの生の時間が残り少ないことが全編にわたって暗示されつつ、最後に彼は時計そのもの(とその機械仕掛け)によって殺されてしまうからだ。つまり彼は、文字通り「時間」に殺されたのである。とりわけフランツの死の瞬間、自動人形が止められたことで歯車が狂い、時計の針が高速回転し始めるくだりは、フランツの手持ちの「時間」が尽きた事実をほのめかして秀逸だ。もっとも、このときウェルズは、よもや自分が数年後にスイスのからくりカッコウ時計を皮肉ることになるとは思ってもみなかっただろう。



初出:『CHRONOS FEMME クロノス ファム』11号 2013年11月
 

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