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『去年マリエンバートで』をめぐって

●製作過程

 二人の映画製作者ピエール・クローとレイモン・フロマンが、アラン・レネとアラン・ロブ=グリエとの会合をお膳立てしたのは、1959年末から1960年初頭頃にかけての冬のことだったという。当時のレネは、59年6月にマルグリット・デュラス脚本の長編第一作『二十四時間の情事』がパリで公開されたばかりの新進監督。一方ロブ=グリエは、同59年に長編第三作『迷路の中で』を発表した気鋭の作家だった。レネはロブ=グリエの小説を読んだことがなかったが、彼の作品に関する批評は読んだことがあり、退屈な小説を書く作家との先入観を持っていたので当初会合を断った。ロブ=グリエはといえば、レネの映画を観て「敬服していた」が、彼との共働企画とは関係なく独自に映画を監督する準備をしていた(63年に監督・脚本第一作にあたる映画『不滅の女』を発表したが、既にトリートメントが出来上がっていた『不滅の女』を延期して『去年マリエンバートで』に参加したのは、映画製作の過程を知っておきたいとの思いもあったようだ)。

 実際に顔を合わせた二人は、長々と話し込んだ。そして、ある解読できない性質に基づいた物語的でない「映画的形式」を試してみようということで合意に達した。このとき二人は、画面外へ向けられた一瞥のようなものについて話すことから始めたという。その一瞥が結び付く必要のあるものは、曖昧でほんのわずかな色恋沙汰的性質だと。両者が共有していたのは、ストーリーを明確にするのは後回しで、重要なことは語りそのものの中にある、という認識だった。つまり、まず形式面での合意に達してから、主題を考え出したそうだ。会合の後、レネはロブ=グリエの作品をすべて読み、とりわけ『嫉妬』と『迷路の中で』に感銘を受けた。

 話し合いの結果、ロブ=グリエは四つの企画を提案した。まず、既に書き上げていた『不滅の女』。そして映画スタジオを舞台にしたストーリーと、田舎を舞台にしたストーリー。最後に『去年』あるいは『去年マリエンバートで』と名付けられた企画。二人は上記のうちどれを選ぶかに関して議論を重ね、結局レネにとって「一番感傷的で簡素だと思えた」ものである最後の企画が選ばれた。次いで、ロブ=グリエは週一回の割で上がったぶんの原稿をレネに渡しつつ脚本を完成させた。出来上がった脚本は、台詞とカメラの動きおよび音響の指示はもちろん、すべての映像が描写された詳細なものだった。この脚本をめぐり二人は八日間に渡って議論を重ねた結果、完全な合意に達した。その後ロブ=グリエはブレスト[仏北西部の港湾都市]とトルコへ赴き、レネは映画の製作準備と撮影に入った。

 

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