撮影期間は、60年9月から11月にかけての約約10週間。題名にあるマリエンバートとは、チェコ西部はボヘミア北西部の町マリアンスケー・ラーズニェの独語名。劇中でもマリエンバートの名には言及されるが、主要登場人物の一人である男Xが女Aに対し、僕はあなたと去年フレデリクスバートで会ったと語りかけて否定されたため、「それならきっと別の場所だったのでしょう、カルルスタード[スウェーデン中心部の都市]か、マリエンバートか、バーデン・サルサ、あるいはこの広間でだったかもしれません」という台詞の中に登場するのみだ。つまり、恣意的に口にされた地名の一つにすぎず、他の何とでも置き換え可能な名称である。

 レネはイスタンブール[トルコ北西部にある都市]にいるロブ=グリエと、親密な手紙のやり取りを交わした。そして、観客にとってわかり易くなるよう、台詞の応酬を四〜五箇所変更してもらった。やがてトルコから帰国したロブ=グリエは、既に撮り上げられていた映画を観た。彼はレネに対し、一言で言って非常に美しい映画だが、音楽が自分の意図を裏切っていると陽気に言った。攻撃的で耳ざわりな音楽を欲していたロブ=グリエにとって、完成した映画に流れている劇伴は甘ったるくて弱々しく、感傷的過ぎると思えたのだった。実際、彼が脚本上で指示している音楽の性質は、そのような性質のものだ。またレネによれば、俳優もロブ=グリエの想定していたタイプとは違っていたのではないか、とのこと。

 美術監督のジャック・ソルニエは撮影四ヶ月前に雇われた。ソルニエによれば、屋内セットには色彩が施されていたという。例えば、壁はピンク色でモールディングは銀色だった。壁のピンク色は「非常に奇妙だった」(ソルニエ)が、モノクロ撮影してみると美しい灰色になった。彼は撮影前にロブ=グリエと話をしたが、「あまり手のうちを明かしてくれなかった」とのこと。撮影場所に関しては様々な土地が候補に挙がった。まず、仏南東部にある温泉保養地エクス=レ=ベン。ロブ=グリエが考えていたのは、パリにあるアンテラリエ・クラブだった。ソルニエは映画監督ピエール・カストの勧めで、オルセー駅の端っこにあるオルセー・ホテルに行ってみたこともあった。カストはそのホテルにしばしば滞在したことがあり、150メートルの廊下があるから絶対に見てみるべきだとソルニエに話したためである。しかし実際に行ってみると、廊下はほとんど残っていなかった。結局、撮影場所にはパリのスタジオの他、独ミュンヘン郊外にあるニンフェンブルク城[1663年〜1728年にかけ造営された、バイエルン選帝候の夏の宮殿。後期バロック様式]、アマリエンブルク[1734年〜1739年にかけ建造された、ニンフェンブルク城の庭園内にある小宮殿。ロココ様式]、シュライスハイム城[バイエルン公国を統治したヴィッテルスバッハ家の夏の宮殿。三つの宮殿からなる]、アンティクヴァリウム[現在博物館として使用されているレジデンツ(王宮)内にある骨董品の広間]が使用された。

 ロケーション撮影だけでは実現不可能な画に関しては、複数の場所で撮影された素材が編集で一つにされている。例えば、デルフィーヌ・セイリグとジョルジョ・アルベルタッツィが並んで廊下を歩いて行く長い場面では、撮影に三種類の異なる廊下が使用されているという。すなわち、ニンフェンブルクの城の廊下、シュライスハイム城の廊下、そしてパリのスタジオである。当初場面の連続性を偽装するために廊下には鉢植えの植物が置かれたが、レネは撮影に異なる廊下が使われたことを隠したがらなかった。こうした連続性の中の非連続性は、移動撮影やカット割によって時間と場所が瞬時に飛躍する映画の性質に溶け込んでいる。

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