『パサジェルカ』をめぐって


 
原作はゾフィア・ポスムイシュ(1923年~)が1959年に発表したラジオドラマ『45番船室の女船客』[小説版の邦訳は『パサジェルカ(女船客)』(佐藤清郎訳、恒文社)]。ゾフィア・ポスムイシュは、パリ滞在中にドイツ人旅行者の一団に出会ったことがきっかけとなって、このドラマを構想したという。同59年、アンジェイ・ムンクは、たまたま1959年8月28日に、ラジオで『パサジェルカ』のストーリー(ラジオ・ドラマ版)を耳にした。このストーリーがムンクの想像力を刺激したのが、本作が製作されるきっかけとなったのである。同時期にムンクは、アダム・パヴリコフスキ主演でドイツ人指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886年~1954年)の伝記映画の企画を進行させており(結局同企画は実現しなかった)、1959年11月にはジョージ・バーナード・ショウが1928年12月に書き上げた政治的諷刺劇『アップル・カート』[初演はワルシャワで1929年におこなわれた/邦訳は『デモクラシー万歳』升本匡彦訳、『ショー名作集』(白水社)所収]の舞台演出を手がけたりしていた。

 その後ムンクはゾフィア・ポスムイシュに『パサジェルカ』をテレビ映画用に脚本化するよう頼み、この脚本に基づいてテレビ映画を監督した。テレビ映画版『パサジェルカ』は、1960年10月10日に、ポーランドで一度だけテレビ放映されている。このテレビ映画版は、現在プリントが失われた状態だとされる。

 テレビ映画版はラジオドラマ版のストーリーを拡張して新たな登場人物を導入し、主人公夫婦の葛藤をより激しいものにしていた。例えば、倫理的に問題のあるリーザの過去が明らかになるにつれ、妻の過去のおかげで夫ワルターの職業的経歴が危うくなるかもしれなくなる、といった描写が付け加わっていた。またテレビ映画版では、リーザによるアウシュヴィッツの回想は、台詞で描写されたのみで映像では示されなかった。つまり、テレビ映画版『パサジェルカ』では、戦後ドイツ人社会にストーリーの焦点が当てられ、アウシュヴィッツはどちらかと言うと、登場人物の心理的葛藤の引き金として用いられていたという。

 こうした設定は同じくムンクが監督し、彼とゾフィア・ポスムイシュが脚本を執筆した(クレジットに記載されていないが、実際にはアンジェイ・ブジョゾフスキとイエジー・アンジェイェフスキの手も入っている)映画版『パサジェルカ』では改変されている。見られる通り、まず映画版ではリーザが回想するアウシュヴィッツでの出来事が視覚化されている。また、船上における現在の場面が物語の枠組みとして機能することで、リーザとマルタの関係が明確化・拡大されているのだ。さらに、出演者もテレビ版とはまったく異なっている。

 ムンクはこの映画版を、撮影監督クシシュトフ・ヴィニェヴィチやドキュメンタリー監督アンジェイ・ブジョゾフスキらと共に1961年に撮影し始めた。まず豪華客船上で展開する現在のシークエンスから撮影が着手され、次いでアウシュヴィッツの強制収容所を舞台にした回想場面が撮影された。豪華客船上を舞台とした現在の場面は、撮影が難航したという。ムンクはこの船上の場面を数千フィート撮影したのみだったが、出来栄えにまるで満足していなかったようだったとされる。そのため、語りの枠組みが変更されることになるのは確かだったが、どのように変更されるかは定かでなかった。

 強制収容所のシークエンスの撮影を終えたムンクは、1961年9月20日、『パサジェルカ』のセット・デザインを視察するため車でウッチへ向かう途中、トラックと正面衝突して死亡した。そのため、客船上のシークエンスの再撮影と、ウッチでおこなわれる予定だったスタジオ撮影の部分は、実現が叶わなかった。そのせいか、映画『パサジェルカ』現行版はこの回想場面が物語全体を支配しているかのような印象を観る者に与える。また映画版は、リーザとマルタの関係描写がかなりの部分を占め、彼女たちの道徳的・心理的関係も曖昧さを増している。

 前述の事情の結果、ムンクの死後に、未完の撮影素材と不明瞭な脚本が残された。1963年に、素材を再構成するべく数度にわたる試みがなされた後、友人で仕事仲間である前記アンジェイ・ブジョゾフスキ、映画監督のヴィトルト・レシェヴィチ、脚本家のヴィクトル・ヴォロシルスキが映画『パサジェルカ』の企画を形にするための方向性を見いだした。すなわち、ブジョゾフスキは脚本と生前のムンクとの話し合いに基づき、アウシュヴィッツでの追加シークエンスの撮影をおこなった。また、船上シークエンス(現在時)をムンクの撮影素材から抜粋したスチル写真のみで構成することで語りの枠組みとして使用した。加えて彼らは、船上シークエンスに用いられた静止画を説明して現在のパートと過去のパートの溝を埋め、映画自体の特殊な性質(未完である旨)を観客に伝達するためのナレーション(ヴォロシルスキの手になる)を付け加えた。つまり、映画が最終的に何を言わんとしているかは未確定にしたまま、ほぼムンクが生前に撮影した素材だけを使用して観客に供することが目指されたのである。そのためか、映画『パサジェルカ』は、前半において夫ワルターに対する妻リーザの告白という形でいったん完結した物語が、後半はリーザの独白という形で敷衍されつつ別の角度から語り直される、いささか特異な構造を備えている。上述の形で「完成」した映画『パサジェルカ』は、1963年9月20日にポーランドで公開されて評判となり、翌1964年カンヌやヴェネツィア等の映画祭にも出品され高い評価を受けた。

 

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