以下に訳出するのは、『パサジェルカ』撮影中に監督ムンクが同作をめぐって記した文章。

『パサジェルカ』をめぐって
アンジェイ・ムンク


 私の新作(『パサジェルカ』)のテーマですか? 戦争中および占領期を再訪するものですが、時代は現代に設定されています。プロットは二つの時制上を進展していきます。豪華船の舷側上で展開する現代と、占領中だった20年前です。

 この新作の提起する重要な問題は何か? 責任と良心との葛藤、人間的忍耐の限界の問題です。特権的な地位を提供することで、肉体的に一切虐待することなく、精神的にひとりの女囚を説得しようと試みるドイツ人女性の主題もあります。彼女は収容所内にその女囚の婚約者がいることを知っており、二人が会うための仲立ちをすることで、女囚に和睦を申し出させたいと思います。

 映画の回想場面は、アウシュヴィッツが舞台です。われわれは困難な課題に直面します。写実的な表現に訴えることなく、アウシュヴィッツを提示するという課題にです。映画は真実味に溢れた芸術です。アウシュヴィッツを提示しても、写実的表現では太刀打ちできなかったでしょう。しかし他にもいろいろと障害がありました(今日、どこで飢え死にしそうな顔つきの人々を見つけろというのでしょうか?)。

 この映画の中で、私はアウシュヴィッツを二つのフィルターを通して提示しました。まず、20年の歳月を隔てて。そしてSS(ナチス親衛隊)の一員であるひとりのドイツ人女性の目を通してです。彼女の経験談は冷静なもので、まともな分別を備えています。

 しかしもう一度、観客の想像力の問題に立ち返りましょう。この映画を作りながら、私はいくらか危険を冒していることに気づいていました。例えば、われわれは死刑の場面の前に一瞬、死神の力を画面に示します。無人の中庭に、黒い自動車がやって来ます。SSが小銃に弾薬を装填します。通路には裸の人々が立っており、そのうち何人かは服を脱ぎ終わろうとしています。次いで、処刑執行直後の先ほどの中庭の画面に戻ります。囚人の服を積んだ手押し車と、大きくて黒い貨物荷車が見えます。われわれは貨物荷車の中に、銃殺された囚人の死体が積まれていることを直感的に理解します。一人のカポ(ナチの強制収容所で、他の囚人看守を補佐して作業班の監督をする代償に、種々の特権を与えられた囚人)が、おそらく処刑のおこなわれた場所に立ちふさがっている壁に、消火ホースで水をかけています。もう一人のカポは、熊手で芝生をならしています。銃声さえ聞こえません。

 映画全体を通じて、どのみちわれわれは虐待や殴打を描いた様々な場面を避けることができませんでした。しかしそうした場面になったときでさえ、虐待されたり、あるいは虐待に夢中になったりする個々人を目にすることはありません。想像力を働かせる必要があるのです。われわれはどんな残虐な映像も、提示しないでいるよう努めています。

 映画のイメージは、女囚たちからなる人混みです。裸にされた人々、乳母車、有刺鉄線、何本もの棒杭のかたまり……。

 タイトルですか? さしあたって仮に『女船客(パサジェルカ)あるいは帰路の旅』としています。

 アウシュヴィッツでの撮影は、現時点で終わっています。二日後にウッチのスタジオで追加撮影を開始することになっています。
                
                
                                          (1961年9月18日)
 

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