スタッフやキャストの一部が英語名になっているのは、映画の倒錯的な猥褻描写が問題になることを製作者たちが恐
れて、イタリア人が作った痕跡を消そうとした結果であるという。海外版だけでなく、イタリア版までこの偽名クレジ
ットが用いられている。バーヴァにとっては初めての偽名使用だったが、「古き良きアメリカ名」としてジョン・M・オ
ールドの名を選んだそうだ。完成作は、イタリアではスキャンダルを起こし(公開禁止処分になったとも、カットされて
年齢制限つき公開になったとも言われる)、英国では一部の場面がカットされ、アメリカではタイトルシークエンス(当
時の英語題は『What!』)が作り変えられる等、恵まれない形での公開となった。そのため興行的にも批評的にも振るわ
なかった。

 ゴシック的な恐怖物語に心理スリラーを絡めたストーリーは、登場人物の関係が思いのほか入り組んでいる。メンリフ家の長男クルトは弟嫁で従姉妹のネヴェンカとかって深い仲にあった。クルトの弟でネヴェンカの夫クリスチャンは、実はもう一人の従姉妹カーチャと愛し合っている。ネヴェンカは本当はクルトを愛しているにも関わらず、本心を偽っている。家政婦ジョルジアが娘を自殺に追いやったクルトヘの復讐を誓っているのを始め、一族全員がクルトを憎んでいる……といったややこしい人間関係が前提となって、映画の前半に生じるクルト殺害の犯人は誰か、あるいはその後続いて起こる伯爵殺害犯は誰か、という推理もののフーダニット的趣向が生じる。そこにネヴェンカが見るクルトの幽霊が果たして彼女の幻視によるものなのか否かという興味が加わり、心理劇と恐怖劇が均衡を保ち続けることになる。ホラーとスリラーがバランスを取りながら物語を推進するこうした方法は、人問の欲望が惨劇を連鎖的に呼び寄せるさまをメカニカルに描いて懐然とさせる後年のバーヴァ作品『血みどろの入り江』(71)で、更に洗練の度合いを深めることになる。

 サドマゾヒスティックな鞭打ち描写を始め、エロティックな趣向にも事欠かない。鞭打たれて恍惚とし始めるヒロイ
ンと、彼女の背中に走る傷の描写は、公開当時はおろか現在でも問題視されるであろう箇所だ。家政婦の娘が自殺に使
った短剣が小道具として活用されるが、この短剣に男根の象徴を見る向きも少なくない。刃に血がついたままガラスケ
ースの中に立てられている短剣を家政婦がじっと見ている冒頭の場面や、被害者二人がこの短剣で喉を突かれて死んで
ゆき、最後にヒロインもこの短剣で(幽霊を殺すつもりで)自分を刺して死に至るところがそうした説を裏づけるように
見える。しかし何と言っても、最もエロティックな象徴的小道具は鞭だろう。これは、男はとことん嗜虐的であり、女
はとことん被虐的であるという、クルトとネヴェンカの性的関係を媒介する道具である。しかもこの鞭が、クルトの死
後恐らくはネヴェンカの自慰の道具となった(彼女は自分自身を鞭打っていた)ことが暗示される。また、炎の中で熱に
よって収縮した鞭が、見悶え、のたうつように動き回って焼けていく様子をとらえた最後のショットの官能性は忘れが
たい。

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