『サンデイドライブ』をめぐって


 『サンデイドライブ』は、『フレンチドレッシング』(99)に続く斎藤久志監督の長編第二作である。製作・主演は『鉄男』(89)、『東京フィスト』(95)などの監督作により一部で絶大な人気を誇り、今後『双生児』『バレット バレエ』と連続的に新作公開が控えている塚本晋也。1996年に斎藤監督による11分の短編『ワンピース what ever』が本作の原型になっているという。脚本は斎藤自身の手になるもの。

 ビデオレンタル店でアルバイトをする大学生の娘ユイは、同じ店のバイト仲間シンジと同棲中である。レンタル店の店長・岡本(塚本)は、休日に店員たちを呼んで郊外で野外バーベキューを催そうと計画している。ある夜店内で、岡本はシンジから彼がほかの娘と肉体関係を持った話を聞かされる。絶対にユイには言わないでくれと釘をさされる岡本だが、表に出るとユイが店の前に立っているのに出くわし、つい先ほどシンジとの間で交わした秘密を漏らしてしまう。シンジを殴って殺してしまった(と思った)ユイと岡本は、二人で逃避行の旅に出る。

 「逃避行」とは言っても追っ手不在のそれである。物語もそうだがそれを語る手際の奇妙さはどうだろう。先に述べた、シンジが「殴って殺」されてしまう場面は、店外で岡本とユイが会話するカットの直後に店内で頭から血を流して倒れているシンジの姿につながり、そこに被さるオフの声でシンジが殴られたことがわかるのだが、観ていて一瞬、何がどうなっているのか混乱してしまう。なぜならここでは、岡本がユイにシンジの秘密を漏らすところからシンジが殴られるところまでの経緯が一切描かれないからだ(映画の発端を説明した先の文の末尾が少しばかり唐突な言葉の連なりになったのは、そのせいだ)。上記の展開が具体的にどのようになされているかを確認してみれば、まずある画面の提示があり、次に続く画面で中途にあるはずの画面が省略されたことがわかり、最後にそっけなくも説明的な台詞がそこに重なる、という具合である。観客は、一見大雑把な物語の展開と画面の連鎖にまず戸惑い、次に登場人物の口にする言葉を聞きつつなんとなくことの経過を想像で補完しながら納得する、といった流れのリズムを取ることを半ば強いられる。終盤近くで実はシンジが生きていた事実を逃亡中の二人(およびわれわれ観客)が知ることになる点では、この映画全体が以上のような呼吸で構成されているといえるだろうか。と言って、このおかしなリズムは画面の連鎖のみによって生じているわけではなさそうだ。それは俳優が発する台詞の間合いと声の調子、遠目から垣間見える彼らの微妙な表情の変化、画面に写り込む雨や突然入り込む背景音といった画面内の諸要素、言ってみればひとつの持続する画面のなかで目につく様々な変化からも生まれるように思える。映画の最後近く、シンジがバイト仲間のミドリと布団を並べて寝ているところに押し入り、ユイの持ち物と共にシンジとミドリの有り金をも巻き上げた岡本とユイは、再び車で逃走する。最後の場面。道端に車を止めて車内でアイスキャンデーを舐めながら二人はあてのない将来に思いを巡らせつつ益体もない会話を続ける。車外では小雨が降りしきり、二人が背にするフロントガラスをワイパーが一定の間隔を置いて拭う。このワイパーの動きとそれが発するちょっとした背景音が生みだす一定のリズムがなんとも言えぬ可笑しみを誘うのだ。

 基本的にキャメラ据え置きの長廻し撮影を用いている点も、特異なリズムを感じさせる要因となっているかもしれない。とはいえ、そのせいで映画全体に硬質な感じを抱くかというと、決してそうではない。それはこの映画の、表現上の抑制と解放の兼ね合いと関わるのではないか。映画の半ばでユイと小学生の少女が出会う場面で用いられる、ユイと劇中一言もしゃべらない少女との無言の申し合わせを瞬時に表現する唯一の切り返し。二人が少女を連れ出して田舎道を車で走る場面では、車の開閉式天井を開けて雨のなか頭を外に突き出したユイと少女の姿をとらえた、劇中ほとんど唯一と言ってもいい開放的な移動ショットが認められる。そして出演者たちの存在感、わけても塚本晋也の演技が実に面白い。狂気と正気、動揺と沈着の微妙な境目で揺らぎ続ける、ユイに恋心を寄せる中年男を演じる塚本は、ときに黙ってうつむいてみたりときに大声で相手を威嚇してみたりと、まさに自ら振り子となって抑制と解放の間で振動し続ける。夜の車中でユイと岡本が途切れ途切れの会話を続けながら互いの腹を探り合う、八分以上におよぶ長廻しの場面は絶品だ。

 こうして画面連鎖と画面内容が抑制と解放を各々断続的に繰り返しながら映画は進行してゆくのだが、両者の拍子は一致しないまま奇妙な齟齬が生じ続ける。結局、映画の生み出すリズムは、クライマックスを迎えることも、どこかに帰着することもない。

 もう一度最後の場面に戻ろう。車内で会話していた二人が車から出て行った後も、ショットはカットなしで持続している。それは無人の車内から撮られた光景だ。ワイパーはすでに止まっている。小雨が降り、路上を時々車が往来する。最後まで格好のつかない『サンデイドライブ』が奏でるのは、素っ気なさと可笑しみ、無情と慈愛、緊張と弛緩、余情と薄気味悪さが交互に顔を出す、訥々としながらも人を食った独自の拍子だ。


初出:『シナリオ』1999年10月号

 

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