以下に抄訳するのは、フィルム・インデックス誌第六号(1962年)に掲載されたオルドリッチへの取材記事。聞き手はジョージ・アディソン。

ロバート・オルドリッチとの対話(1962年)

──オルドリッチさん、今回は自由に使える時間がたっぷりありますので、あなたが関わった映画について時系列順に一本ずつうかがっても構わないでしょうか?
ロバート・オルドリッチ(以下RA) そうしていただけると何よりだ。

──先を急ぐ前に、助監督を務めた映画について、それから関わった監督たちをめぐるあなたの印象を少しお話しいただいてもよろしいですか?
RA ジャン・ルノワールは、自ら語っていたよりもずっとスタニスラフスキーに傾倒していた。彼は自分なりの真実を探し求めていた──そのことを口に出そうとはしなかったけれども。『南部の人』(45)で、ルノワールは俳優たちをストックトン [ カリフォルニア州中部サンホアキン郡の郡庁所在地 ] まで連れて行ったそうだ [ 訳注1 ] 。俳優たちを土地に慣れさせるためだと彼は言っていたよ。ルノワールは俳優を農民たちに慣れさせることを口実にして、実は『南部の人』のストーリーがいったい何を語っているのかを理解しようとしていた。
 ジョー・ロージーには、出演者たちと色恋沙汰を起こす才能があった。私にはとてもそんなことはできなかったけれど、少なくとも今はロージーのやらかしたことを気に入っている。ロージーは俳優たちととことん恋愛し、そのおかげで彼らは普段以上に良い演技をすることが常だった。たとえば『不審者』(51、未)。イヴリン・キースは、これまでで最高の演技を披露している。スクリーン上では退屈でのろまなヴァン・ヘフリンでさえ、素晴らしかった。スター俳優たちと組んだときにも、同じものを見て取ることができる……。

──ロージーは実際に撮影に取りかかる前に、出演者たちにかなり稽古をさせたのですか?
RA 私ほどではない。ロージーは撮影前にいくらか稽古をしていた。けれども私にとっては、実際の撮影に入る二週間前に稽古が完成していることがきわめて重要──それに俳優たちにとっても好都合──であることがわかっている。さまざまな場面を練り上げ、俳優たちが自分の演じる役柄を充分に完成されたかたちで着想しそれを展開できるようにするため、私は二日間にわたる脚本の読み合わせで稽古を始める。その後になって、すべてのスタジオ撮影およびロケーション撮影場面を、俳優たちに本番用衣装を身に着けさせて稽古する。これをやるおかげで、私は各場面をはっきり心に思い描くことができるし、必要とされるドラマ、つながり、性格づけを引き出すことができる。私はセットやロケ現場にやって来るや、すぐさまキャメラの配置を決めることのできる監督ではない。私の場合、セット撮影かロケーション撮影かを知る必要があるし、あらかじめ入念に分析する必要がある。したがって、私は自分の欲しているものがわかっているわけだ。こういうやり方は、つまるところ経済的でもあると思う。というのも、いざ撮影が始まったときに、俳優たちも私自身も各場面に関して確固とした考えを持っていることになるからだ。とはいえ、それ以上の変更を認めないわけではないけれど。それに私も助かるんだ。なにしろ私は意気揚々としたダイアローグが好きなのだけれど、それがあまりに美文調に聞こえた場合、変更することがあるからだ。

Copyright(C)2011 mozi by Sumio Toyama All Rights Reserved.

>> 次ページへ

オルドリッチ研究 Top に戻る
mozi - モンテ・ヘルマン研究- 遠山純生-
mozi - ロバート・オルドリッチ研究 - 遠山純生-
Top Page
column
studies
rare films
archives
profile
about this site