──正規の監督として、あなたが最初に手がけた映画は『ザ・ビッグ・リーガー』ですか?
RA そうだ。その映画は1953年に監督した。ロケーション撮影で作られ、第一線に躍り出ようとしているマイナーリーグのある若い野球選手が直面するさまざまな試練を描いたものだった。ありていに言えば、『ザ・ビッグ・リーガー』は当時の私が置かれた状況を描いた個人的な映画ではなかったよ。出来は良かったと思っているけれど、映画という媒体を通じて私が描きたいものは、そこにはない。映画を通じて私が言いたいことを初めて具体的に表現した作品が、『人質に取られた世界(World for Ransom)』だった。長所もあれば短所もある、二人の男を描いた映画だと言えるかな。二人とも個人の自由というものを信じているけれど、一方の男の信念は他方の男の信念よりずっと薄弱だ。というのも、彼は人間性への敬意を払っていないからだ。理性と尊厳を忘れることなく敵に闘いを挑むにあたって、相手のことに精通すべきだし、その長所には敬服さえするものではないだろうか。

──あなたが『人質に取られた世界』の共同製作者に加わっていることは存じています。しかしその次の作品『アパッチ』では、製作者ハロルド・ヘクトの下で監督を手がけていらっしゃいますね?
RA 実を言えば、原作小説をヘクト=ランカスター・プロダクションズに持ち込んだのは私だ。けれども結局あんなことになって、残念だった。連中は私のエンディングをカットしてしまい、最後に主人公を死なせないことにした。私としては、主人公が辿った成り行き上、どうあっても彼は再び受け入れられもしなければ生き残ることもできないと思った。私は主人公の大胆さ、勇気、献身を尊敬していた。けれども世界には、もはや彼のような人間の居場所はなかったんだ。
 続いて私は、再度ヘクト=ランカスター・プロダクションズで『ヴェラクルス』を作った。この映画の後、さらなる意見の食い違いがいろいろとあって、われわれは永久に決裂した。けれども『ヴェラクルス』のことは気に入っている。この映画にもヒーローとアンチ=ヒーローが登場する。ヒーローは正々堂々と対決することを選び、アンチ=ヒーローを殺すことで生き延びる。互いに信条を異にするにも関わらず、ヒーローはアンチ=ヒーローに敬意を払っている。
 お次は『キッスで殺せ』と『悪徳』だ。『悪徳』は私にとって、初めての完全な独立製作映画だった。そしてこの映画は赤字だった。1955年のヴェネツィア国際映画祭で受賞し、40万ドルの製作コストで125万ドルの収益をあげたのにだ。配給業者が丸儲けして、私のもとには製作費以下の金額しか残らなかった。
 長い間、『悪徳』を作りたいと思っていたんだ。あらかじめ出来上がった劇的な台詞や葛藤を映画で使うことを、私は好んでいる。そのことは認めるよ。だから私の映画の大半は、小説や戯曲の翻案なんだ。私はクリフォード・オデッツの戯曲に基づいてジェイムズ・ポーと一緒に脚本を執筆し、俳優を起用するために出来上がった脚本をいろいろなメジャースタジオに売り込みに行った。その後結局、延べ払いに合意して自分の製作会社であの映画を作った。ハリウッドをあまりに煽情主義的に描いているからといって、必ずしも『悪徳』がアンチ=ハリウッド的な作品だとは思わない。私にしてみれば、この映画が描いていることは商売であれ芸術であれどんな領域にも適用できる。人間が自己表現するために持っている当然の権利が、卑しむべき役立たずの非道なリーダーやボスによって押しつぶされかねない領域にね。そうしたリーダーやボスは、自ら手中にしている権力に値しない連中なんだが。
 だがもちろん、とりわけこの映画はハリウッドの邪悪さに逆らっている。莫大な収益を挙げるべく帝国を無傷のままにしておくためには、時にギャング行為や殺人にさえも手を染めかねないハリウッドの邪悪さに。
 また一面、1955年のハリウッドには時代錯誤の重役どもが大勢いた。時代と共に歩むことをせず、自分の手で作り上げた象牙の塔に住んでいる連中だ。彼らの誤った理想主義に穴を開けてやりたかったんだ。映画『悪徳』の主人公ですら、誤った現実主義者だった。そこで私は彼のことを、罪悪感を抱えて苦しむ犠牲者として描かなければならないと思った。なぜなら彼は、半ば譲歩してしまったからだ。
 

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