【合衆国映画の復興期】
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mozi - 合衆国映画の復興期- 遠山純生-

第十二回

マイケル・ローマーとロバート・M・ヤング──二人のユダヤ系アメリカ人A


●長編劇映画の初製作へ


 いざこざがあったにも関わらず、NBCはローマーとヤングを雇っておくことにした。おそらくこの放映中止事件をニューヨークタイムズ紙が詳しく調査し始めたことに加え、同事件に対してテレビ局のドキュメンタリー番組製作ユニットが抗議行動をおこしたのが原因であっただろうとローマーは見ている。しかし結局、二人はNBCを辞職する。1960年に撮影したナッシュヴィルでの座り込みストライキ(シット=イン)に深い感銘を受けていたヤング──彼が『NBC白書』の一挿話『シット=イン』を監督していたことは前述の通り──は、このとき南部のアフリカ系アメリカ人の生活を描いた映画を作ってはどうかとローマーに提案した。このヤングのアイディアが、二人にとっての長編劇映画第一作『ただの人間』(64)へと結実することになるのである。

 前述の通りヤングには、ユダヤ系としての出自を社会的弱者に重ねて彼らの置かれた立場を理解しようとする性向があった。「アウトサイダーならば、自分が部外者にならねばならない原因を探ろうとするし、自分にどのような社会的前提=偏見が作用しているかを問うことになる」(ヤング)のである。こうした姿勢が、二人のユダヤ系アメリカ人が黒人社会を描いた映画の脚本を執筆する際の助けとなった。

 二人は15000ドルの資金を工面し、NAACP(全米黒人地位向上協会)のロイ・ウィルキンズ(1901年〜1981年)の紹介状を携えて、黒人共同体や黒人家庭を渡り歩いて彼らの経験、人間関係、感情をでき得る限り学ぼうと努めた。まず手始めに、ヤングがNBCの番組で監督した『シット=イン』の出演者の一人である女子学生の自宅(ノースカロライナ州)に滞在。1962年夏のことである。そしてこの女子学生の家を皮切りに、彼らは徐々に南下してゆき(サウスカロライナ州イーストオーヴァーでは聖職者の家で寝泊まりした)、最後はルイジアナ州ニューオーリンズへと到達する旅をした。ローマーはこの作業に取り組む以前、アフリカ系アメリカ人と接触したことはほとんどなかった。しかしユダヤ系の出自とドイツでの幼少時代の経験のおかげで、黒人の置かれた状況に歩み寄りやすかったと語っている。映画の冒頭に登場する保線区作業員たちの労働風景は、この度の間にヤングが四〜五日かけて記録した映像を巣材としたものである。

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