【合衆国映画の復興期】
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mozi - 合衆国映画の復興期- 遠山純生-

 長らく続いた徒弟時代、ローマーは週末や夜間や失業期間を利用して「さして出来の良くない」四本のオリジナル脚本を執筆していた。その四本のうち、最後(1957年)に執筆した一本は、中西部を舞台として一組の若い夫婦およびアルコール依存症の粗暴な(夫方の)父親を中心としたストーリーを語っていたとのこと。もっともこの脚本には、背景となる文脈や特質が欠けているとローマーは感じていた。しかしヤングと共に南部を旅してまわっていたときに、ローマーは背景となる素材を豊かに摂取できたと感じる。もっとも、黒人たちとの素晴らしい出会いを豊富に経験したにも関わらず、前景となる映画のストーリーの方はなかなか浮上してこなかった。調査費用も底をつき始め、ローマーが不安に駆られ始めた(他方ヤングは楽観的だった)頃のある朝、ミシシッピ州にいた彼は突然自分が以前に書いた若い夫婦の話を映画の骨子として使えるのではないかと思いつく。人種差別が抑圧をもたらし、黒人たちの生活における最も親密なひとときにまで侵入してくる南部の状況は、脚本に欠如していた具体的な文脈や特質を提供してくれるからである。加えて、前述した世代間の葛藤も、黒人社会に設定を変更しても容易に活かすことができた。

 その後ニューヨークへ戻ったローマーとヤングは、約六週間かけて本格的に脚本を執筆する。脚本は実質的にローマーとヤングの共同執筆だったようで、役割分担としては主にローマーが自身の個人的経験(たとえば、行方不明となった父親を探し当てる主人公ダフの行動には、家族を見捨てた父親に対するローマーの心情が託されている)を盛り込み、ヤングは社会的関心(たとえば、南部の人種差別)を持ち込んだ。やがて脚本は出来上がるが、劇映画の監督経験がほぼないも同然の二人組による、黒人たちを主人公とした映画に出資しようとする奇特なスタジオあるいは人間は──時代を考えれば──容易に見つからなかったのは当然である。そこで撮影を始めるための製作資金(約23万ドル)を工面するため、二人は自腹を切ったのはもちろんのこと、ヤングの兄アーウィンのほか、家族や友人知己から少しずつ資金提供を募らなければならなかった。

 配役には数か月を要した。当時は黒人が俳優の仕事を見つけるのは非常に困難な時代だったため、単純に俳優の絶対数が足りなかったからである。そこで、黒人劇作家のチャールズ・ゴードン(1925年〜1995年)の協力を得て、彼に職業俳優アイヴァン・ディクソンとジャズ・ヴォーカリストのアビー・リンカーン──ゴードンは、1960年にリンカーンが出演したオフ=ブロードウェイ公演『黒人たち』(ジャン・ジュネ原作)を観ていた──を紹介してもらった。そして、父親役を演じる老いた俳優を探し回った挙句、やはりゴードンの紹介で俳優志望の看護士ジュリアス・ハリスを起用することになる。素人俳優だったハリスがスクリーンテストで演技できることを証明させるため、ローマーは彼に三週間にわたって演技を訓練させた。

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