【合衆国映画の復興期】
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mozi - 合衆国映画の復興期- 遠山純生-

第十三回

ジョン・カサヴェテスの映画作り


 映画監督としてのカサヴェテスは、事前に計画された演出の方法論や、映像および音声に対する様式的こだわりを持ち合わせていない。その意味では、たとえばスタンリー・キューブリックのような監督とは対極に位置する存在であると言える。映画のあらゆる技術的構成要素に隅々まで注意の行き届いたキューブリック作品とは違って、カサヴェテスの映画を観ると、撮影・照明・編集・音響・演技といった個々の技術的要素には、特定の人物の刻印(スタイル)や個別の技巧的優越性よりは、匿名的で自然発生的な有機的連関が感じられる。見方によっては粗雑で生煮えにも映るそうした映画作りが、斬新で生気に満ちた一本の作品へと結実する、その秘訣を解き明かすのは難しい。もっとも、一定の様式的特性を各作品から引き出すことは困難でも、カサヴェテス作品でしか味わえない独自の感触が常にそこにあるのも事実だ。その一方で、カサヴェテスは作品毎に映画製作の方法をわずかに変化させている(それには機材の「進化」も関係しているが、本稿では詳述を避ける)。ここではその方法の一貫性と、そこに認められる微妙な差異を、簡単に辿ってみることにしよう。


●クロースアップからマスターショットへ

 『アメリカの影』に使用された機材は16ミリのアリフレックス・キャメラと、同時録音用のRCAヴィクター製テープレコーダーだった。基本的に撮影監督を務めたのはエリック・コールマーだったが、彼が現場にいられないときには手の空いている者が誰であれキャメラを廻した。こうしたやり方は、録音を始めとする他の技術的役割においても適用されたという。

 マスターショットから撮り始めてその後アクションをマッチさせるためにクロースアップのショットを撮影する、というのが通常の手順だが、『アメリカの影』のいくつかの場面ではその逆の順序で撮影が行なわれた。事前に俳優たちは該当場面が大体どのようなものかをかいつまんで説明され、登場人物間の関係がおさらいされる。その後クロースアップで俳優の一人をとらえるために、キャメラが彼に近寄って行く。その間ほかの俳優たちはフレーム外でその俳優に台詞のきっかけを与える。キャメラマンはフィルムが尽きるまで(例えば16ミリで1リールにつき400フィートのフィルムなら、10分間)廻しているため、クロースアップでとらえられた俳優はその場面で求められている台詞の内容に関し、言いたいことを何から何まで吐き出すことができる。次いでほかの俳優がクロースアップで撮影される。マスターシーンを撮影する必要が生ずる頃には、俳優たちは自らの動きと台詞を充分に頭の中で具体化させており、無駄な仕種の大部分を捨て去って場面全体を首尾一貫した形で演じ通すことができた。

 『アメリカの影』ではまだロングショットからクロースアップへという慣習的なやり方で場面が始まることが多いが、ロングショットは必ずしも、エスタブリッシングショットとして機能しているわけではない。むしろクロースアップからマスターショットへ至る撮影手順に応ずる形で、俳優たちが空間の大部分を占め、キャメラは俳優の動きを追うことに精力を傾注しているように見える。画面内の位置関係を始めとする説明的な要素はないがしろにされているようなのだ。

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