第一回

ヘレン・レヴィット、ジャニス・ローブ、ジェイムズ・エイジー @

●新しい映画の予兆


 最初に、ひとつの起点となりそうな人々と、彼らが作った映画を挙げておくことにしよう。慣習にとらわれない映画作りを実践した人々、それまでとは違った何かを体現した作品を。合衆国において、彼ら(それ)はどのような形で、いつ出現したのか。

 そこで、1940年代半ばに製作された二本の映画を、とりあえずの始まりを告げるものとしてここに置いてみることにする。一つは、写真家ヘレン・レヴィットが、同じく写真家のジャニス・ローブ、作家兼映画評論家ジェイムズ・エイジーと共同で監督および撮影を手がけた無声記録映画『通りで』(撮影は1946年、編集は1951年)。もう一つは、エイジーがナレーションとダイアローグを執筆し、レヴィットと(クレジットなしで)ローブおよびシドニー・メイヤーズが脚本を、リチャード・バグリーおよび(クレジットなしで)レヴィットとローブが撮影を手がけ、メイヤーズが監督を担当した、劇映画と記録映画との折衷的な作品『無口な子』(製作時期は1946年から1947年にかけて、公開は1948年)だ。

 たとえばジョナス・メカスは『通りで』と『無口な子』を指して、「低予算独立系映画と新たな映画様式の先駆者」と呼び、両作品に共通して見られる特徴として、非職業俳優の起用、しばしば隠しキャメラを使ってなされるロケーション撮影、(ウィラード・ヴァン・ダイク、ポール・ストランド、ペア・ローレンツらドキュメンタリー映画の先人たちとも、同時代の実験映画作家たちとも著しく異なる)俳優の身振りおよびキャメラの動きの自然さを挙げている。この「新たな実験のためのしかるべき方向性を指し示している」(メカス)二作品には、すでに見た通り、レヴィット、ローブ、エイジーが共通して関わっている。

●写真家ヘレン・レヴィット

 1937年から写真撮影を始めたレヴィットは、終生ニューヨークに居住しながら、マンハッタンのヨークヴィル、ハーレム、ロワーイーストサイドを始めとするニューヨークのさまざま地域で街頭にいる市井の人々をフィルムに収め続けた写真家だ。1941年と1943年には、路上の子どもたちをとらえた彼女の作品の展覧会がニューヨーク近代美術館で開催されている。

 レヴィットの写真はいわゆる“ニューヨーク派”的風潮を形成する一助となりながらも、彼女自身は名声や商業的成功を志向することなく独立心を保ち続けた。アンリ・カルティエ=ブレッソン、ウォーカー・エヴァンズ、ベン・シャーンの影響を受けたレヴィットが映画を製作し始めたことには、エヴァンズを通じて1930年代後半に知り合い、親友となったエイジーの説得が大きく作用したといわれる。エイジーは彼女の写真の中に、映画的スタイルの萌芽を見ていたというのだ。

 そもそもレヴィットが映画に関わり始めたのは、写真だけでは生計を立てることができなくなり、記録映画の編集をするルイス・ブニュエルの手伝いをしたのがきっかけだという。もっともこの作品が何を指しているのか、にわかには判明しない。ブニュエルとレヴィットとの共働も、1930年代とも1943年とも言われる。ただし、ブニュエルは1930年11月25日から1931年1月2日まで合衆国に滞在したが、この際はMGMの誘いによりハリウッドで撮影所見学などをした。それから数年を経た1938年、彼は再び合衆国に滞在する。このときはいったんハリウッドへ向かい、その後(1941年)ニューヨーク近代美術館フィルム・ライブラリーの記録映画部門に就職、翌1942年に同館のインターアメリカ問題調整局の監修・記録映画編集部長となった(しかし、翌1943年にかつての破壊分子的活動を批判され、MOMAに辞表を提出、1946年にメキシコへ渡る)。そのため、レヴィットとブニュエルが出会ったのは、まず間違いなく1942年前後のことだろう。この二人が共同で編集に取り組んだ映画は、(この時期ブニュエルが編集を手がけていた)中南米諸国向けの反ナチ・プロパガンダ映画の一本である可能性が高い。

 1940年代にスパニッシュ・ハーレムで撮られた作品を掲載したレヴィットの写真集『A Way of Seeing』(1965年刊)には、エイジーがエッセイを寄せている。これまた、エイジーの勧めで作られたものである。二人が『A Way of Seeing』の刊行を企てていたのは1940年代後半のことで、同時期にエイジーの前記エッセイも書かれた(写真集は、レヴィットの写真とエイジーのテキストが呼応し合う形で編集されている)というから、この『A Way of Seeing』の製作が、彼らが映画製作を試みた時期とも重なることがわかる。

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