第二回
ヘレン・レヴィット、ジャニス・ローブ、ジェイムズ・エイジー A

●記録から劇へ──『無口な子』


 『通りで』に続いて、やはりニューヨークのハーレムを中心に、1946年から1947年にかけてロケーション撮影がおこなわれた『無口な子』は、前者で習作的に試みられた記録映画作りを劇映画の形態に統合した赴きのある作品だ。

 映画は、簡単に要約すれば以下のような内容を語っている。
主人公は、ハーレムで祖母と二人暮らしをしている少年ドナルド。情緒障害を抱えているドナルドの非行と精神状態に対処できなくなった祖母は、彼をウィルトウィック・スクール(家庭や共同体で顧みられないことで重度の人格障害に陥ったニューヨークの子どもたちを受け入れる寄宿制の学校。ニューヨーク州アルスター郡エソポスにある)に送り込むことにする。この学校で、ドナルドおよび彼と同様の障害を抱えた少年たちは、カウンセラーや心理学者の助けを借りながら自らの問題を克服するべく努力する。


●無口な子の物語

 以下、『無口な子』で描かれる出来事を今少し詳しく記述してみよう。
『無口な子』は森の中で遊ぶさまざまな人種からなる少年たちの姿をとらえた場面で始まる。この映画のナレーターであるウィルトウィック・スクール付きの精神科医「私」の声が、「遊んでいる様子はありふれた子らに見える。彼らは平凡な子どもではあるが、境遇が歪んでいるのだ」と述べ、映画が学校で暮らす80人の生徒の一人である10歳のドナルド・ピーターズのストーリー──ドナルドがどのようにして道に迷い、その後更正したか──を語ると告げる。学校に入ってから数ヶ月経っても、ドナルドには友人ができなかった。彼は笑顔を見せず、ほとんどしゃべらない、無口な子の一人である。

 学校の授業風景。少年たちは、教師のジョンソン女史からいまだ満足にできない読み書きを学んでいる。ジョンソン女史が黒板に書いた“baby(赤ちゃん)”という語が、ドナルドに動揺を惹き起こし、彼に自らの過去を回想させるきっかけとなる。彼がまず思い出すのは、幼少時に海辺で撮影された家族写真である。そこには失踪した父親(ドナルドが父の顔を覚えていないことを象徴するように、その頭部はフレーム上部で切れている)、現在再婚し別の男と暮らしている母親、ドナルドと同居する祖母が写っている。

 映画はここからドナルドの回想場面となる。早朝のハーレム。ドナルドの祖母が、帰宅しなかった孫を探してひと気のない街を歩き回る。ドナルドが家に帰らなかったのはこれが初めてのことではない。彼は近所にある燃料販売店の作業場の片隅で眠っていた。やがて彼女が諦めて帰宅すると、ドナルドが販売店の男に連れられて帰宅する。激昂した祖母はドナルドを罵って折檻し、彼は泣く。祖母と孫との間には会話らしい会話もなく、愛情を求める彼の行動は誤解され拒絶される。

 朝、ドナルドは祖母と共に学校へ行く。集中力を欠く彼は、勉学でほかの生徒たちに遅れを取っていた。学校に到着後、祖母が立ち去るのを見計らって、ドナルドは学校を抜け出す。彼は家でくすねた小銭で菓子を買い食いするが、悪童二人組に目をつけられて横取りされる。しかし彼らと仲良くなりたいドナルドは、逆に二人組に手持ちの小銭を与えてしまう。街を歩きながらふざけ回る二人を見て、ドナルドは初めて笑顔を見せる。だがやがてドナルドの相手をするのに飽きた悪童たちは、彼を置いて立ち去る。

 その後ドナルドは、母親のアパートを訪れる。再婚して別の男と暮らし、彼との間に赤ん坊をもうけている母親は、息子の来訪を歓迎していない。継父は出掛けに母親の頼みでドナルドに小銭を与えるが、彼はそれを床に捨てる。赤ん坊が激しく泣き出し、その声に我慢できなくなった様子のドナルドはアパートを出ると、路上の石を拾って車や窓ガラスにぶつけて破壊し、そうすることで自らの苛立ちと絶望を一時的に解消しようとするかに見える。

 この一件が原因となって、ドナルドはウィルトウィック・スクールに入学することになったのだとナレーションが告げる。

【合衆国映画の復興期】
TOPページへ

>> 次ページへ

Copyright(C)2011 mozi by Sumio Toyama All Rights Reserved.

STUDIES TOPへ <<

mozi - 合衆国映画の復興期- 遠山純生-
Top Page
column
studies
rare films
archives
profile
about this site