mozi - 合衆国映画の復興期- 遠山純生-

●『ひな菊を摘んで』の撮影

 撮影に使用されたのは、マンハッタンの四番街にあるレスリーのスタジオ・ロフト。短い屋外場面は、ブルックリンにあるイースト・リヴァー沿いに建てられた倉庫前で撮られている。1959年1月2日より撮影が開始され、同年4月に完成された。このうち撮影期間は、中断を含めて約二週間。製作費は出演料込みで15000ドルだったという。

 フランクとレスリーは各場面を数テイクずつ撮る、通常の劇映画の撮影法を採用し、最終的に撮影素材は約30時間ぶんとなった。ただし、使用されたキャメラは一台のみ。照明機材も一つしかなかった。16ミリのモノクロで撮影された画面は、時にざらついて見えるものの、夜間を含むロケーション撮影がほぼないためか、例えば同時期に撮られた『アメリカの影』よりは被写体が鮮明にとらえられている(レスリーは、ロングショットを用いてあえて対象に焦点をしっかり合わさないようにしたと語っているが)。

 また、冒頭で窓から室内へ向かって約180度パンする画面が一箇所と、後半に登場する司祭を囲んで全員が座っている場面で360度のたどたどしいパンによって登場人物たちをとらえた撮影(数回別の場面が挿入されて中断される)が一箇所ある他は、すべて固定画面のみ(稀に微妙なパンおよびティルト撮影が組み合わせられる)で構成されている。アクションが唐突に短く分断され、カット間のつながりが途切れているような編集が時になされるため、アフレコの利点を活かして行き当たりばったりに手持ちキャメラで撮影されたような錯覚を与えるが、実際には前述したようにキャメラ自体が移動することは一度たりともなく、全場面が三脚に載せたキャメラで撮られている。


●計画と即興

 ジョナス・メカスは『ひな菊を摘んで』を讃えた一文で、「映画における撮影の質は、内容・アイディア・役者に劣らず重要である」と書いたうえで、「街頭からスクリーンへ生命を運ぶのは、この産婆役の撮影なのだ。そして、その生命が生きたままスクリーンまで到達するかどうかは、ひとえに撮影次第なのである。ロバート・フランクは初めての映画で、この生命の移植に成功した」と述べている。

 ところで、『ひな菊を摘んで』を即興演技等が用いられた自然発生的作風の傑作であるとする言説があり、メカスもこの作品に言及したある文章で「自由な即興」といった言葉を使ってそうした評価に加担したようにとらえられている面がある。例えばギンズバーグは『ひな菊を摘んで』における自分たちの演技的貢献に関して、一般的なやり方で脚本に従いながらも、ダイアローグにも場面にもとらわれずにいろいろと創案しなければならなかったし、ロバート(・フランク)はわれわれに脚本を暗記させなかったから基本的に演じる必要はなかった、と述懐しているから、製作時にある種の自然発生性が意識されていたのは間違いのないところだろう。

 だがよく見ていくと、『ひな菊を摘んで』は即興および自然発生的要素と、あらかじめ計画された要素とが細かく入り組んだ映画だとわかる。もちろん、そうした映画が作られることは決して珍しいことではないが、ここでは二つの要素の組み合わされ方が独特なのだ。

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