しかし元来映画好きで、テレビではなく映画の仕事をしたいと考えていたフリードキンは、同じ局内にいるこれまた映画作りを志向していた撮影担当のビル(ウィルマー)・バトラーの助力を仰ぎ、二人でプロテスタント教会団体製作の映画『谷間を歩む』を監督したが、これはWGNの仕事ではなく完全な副業だった。『谷間を歩む』はフリードキンとバトラーが組んだ最初の作品で、同団体がファイルに保管していた少年非行の五つの事例を一つにまとめてセミドキュメンタリー映画に仕立てたものだったというが、フリードキンの公式フィルモグラフィからは外されている。

 続いてフリードキンが監督したのが、『ポール・クランプ事件』である。フリードキンは『谷間を歩む』の製作中に、とあるカクテルパーティで知り合ったクック郡刑務所付き司祭ロバート・サーフリングを通じてクランプのことを知った。この司祭がフリードキンに、「九年間死刑執行を待っている黒人がいる。有罪判決を下されているけれど、個人的には無罪だと思う」と、クランプがでっちあげの罪で収監されている可能性があることをほのめかしたのだった。この話を聞いてクランプに関心を持ったフリードキンは、まず刑務所長のジャック・ジョンソンと会見した。ジョンソンはそれまでに数人の囚人を死刑台に送り出していたが、個人的に死刑執行には反対していた。そこで、クランプを主題に映画を撮りたいとのフリードキンの意向を受け入れたのだった。フリードキンはクランプの訴訟記録の要約と、クランプの視点から見られた収監までの経緯を盛り込みながら脚本を執筆した。彼の目的は明確だった。それは、クランプを死刑執行から救い出す、というものである。

 もっとも、WGNはクランプの主題に関心を示さず、フリードキンはWBKBの総括管理者スターリング(レッド)・クインランに企画をもちかけ、出資してもらうことになった。クインランはフリードキンの才能を買っており、自社に引き抜こうとしていたが、フリードキンはWGNに留まったまま再びバトラーと組み、WGNでの通常業務をこなしたうえで週末と夜間のみ『ポール・クランプ事件』製作にあてて同作を完成させた。つまり今回も、映画製作は完全な副業だった。

 けれどもこの映画を製作するにあたって、ひとつ問題があった。最高裁判所への上訴が却下されれば、クランプの死刑は約半年後に執行されるかもしれなかったかもしれなかったからである(実際、映画の終盤で上訴は却下されてしまう)。したがって、フリードキンは最悪の事態に備えて、半年以内に映画を完成させなければならなかった。そこでフリードキンとバトラーは、映画をどのような形に作るか煮詰めないまま、当時世に出たばかりのアリフレックス製16ミリキャメラとナグラのテープレコーダーを借り、製作に取りかかった。つまり彼らは手持ち撮影と同時録音による映画作りを試みていたことになるが、その知識はあやふやなものだったとのこと。

【合衆国映画の復興期】
はじめに
第一回
 ヘレン・レヴィット、ジャニス・ローブ、
      ジェイムズ・エイジー @


第二回
 ヘレン・レヴィット、ジャニス・ローブ、
      ジェイムズ・エイジー A


第三回
 ひな菊を摘んで @

第四回
 ひな菊を摘んで A

第五回 
 ベアード・ブライアントと
          『クール・ワールド』 @


第六回 
 ベアード・ブライアントと
          『クール・ワールド』 A


第七回 
 ウィリアム・フリードキンと “ドキュメン
タリー的” 犯罪映画の系譜 @

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