以下に訳出するのは、ロジャー・コーマン製作、モンテ・ヘルマン監督による1974年のアメリカ映画『コック・ファイター』の原作者兼脚色者チャールズ・ウィルフォード(1919〜1988)が、脚本執筆時を回想してアメリカの映画雑誌『フィルム・クォータリー』(75年秋号)に寄せた回顧録である。ウィルフォードは主にクライム・ノヴェルを得意とした小説家で、日本では警官ホウク・モウズリーを主人公としたシリーズもの『マイアミ・ブルース』(創元推理文庫/現在品切れ)、『マイアミ・ポリス』『マイアミ・ポリス/あぷない部長刑事』『マイアミ・ポリス/部長刑事奮闘す』(以上扶桑社ミステリー文庫)の他、『危険なやつら』『炎に消えた名画』(いずれも扶桑社ミステリー文庫)が訳出されており、これらの小説を含めた全20作に及ぶ著作を発表している。『マイアミ・ブルース』は俳優のフレッド・ウォード製作・主演、ジョージ・アーミテージ監督による同名映画化作品(90年)があることを付言しておく。

『コック・ファイター』から『ボーン・トゥ・キル』ヘ   チャールズ・ウィルフォード
 
 初めて脚本を書くという体験は、二流の痔の手術に似ている―――二度とやりたくないものだということだ。
 
 エージェントのマイク・ワトキンスがニューヨークから電話してきて、ニューワールド・ピクチャーズのロジャー・コーマンから私の小説『コック・ファイター』の映画化権を取得したい旨申込みがあったと伝えた。私はまず、自分で脚本を執筆できるかどうか尋ねた。

 「勿論だとも」マイクは言った。「脚本は別途発注契約になるだろうが、そのことは取決めの一部になっている」
 
 小説家なら誰でも自作小説を映画用に翻案したがるというわけではないだろうが、私はただ自分にできるかどうか試してみるために、いつか脚本を執筆したいと思っていた。オリジナル脚本を書いてやろうという狂った考えさえ抱いていたのだ。だが製作される可能性がどんなに小さいか前もってわかっていながら、ヤマで脚本を執筆するということは、どのみち執筆する時問が充分にないライターにとって、大変な賛沢なのである。しかし私は、確かに『コック・ファイター」の脚本を執筆したいと思っていた。私は本を書く前に、闘鶏というスポーツを調査するのに18ケ月を費やした。そして登場人物たちと共に心のなかで更に二年間生活した。闘鶏に関して私が体験したようなことを体験せず、登場人物たちに関して私が持っているような特別な知識のない脚本家に自分の小説を手渡したくはなかった。

 私の見解――これは今に至るも変わっていない――では、『コック・ファイター』は、長編映画には理想的な小説だ。闘鶏というスポーツ自体、多くの人々にとって、派手で神秘的なものであり、ドラマティックで活き活きとしたアクションになる可能性を多く秘めている。小説のプロットは漢然と、非常に漢然と、『オデュッセイア』(ホメロス作とされる大叙事詩で、トロイア戦争から凱旋の途次10年問のオデュッセウスの漂泊を述べる)に基づいている――章立ては『オデュッセイア』中の挿話と一致していないけれども。しかし相似した登場人物は何人かいる。その外観は幾分皮肉なものではあるが。フランク・マンスフィールドは悪賢いオデュッセウス、オマー・バラディンスキーはテレマチュス、エド・ミドルトンはネストール、メアリー・エリザベスは忠実で辛抱強いペネロープ、そしてキュークロプスに相当する片目の精薄者トム・ピープルズを含む、他の登場人物たち。南部闘鶏競技同盟計画におけるフランクの闘いを、オデュッセウスの冒険にこのように低いレヴェルでなぞらえることを実現したことは、小説を書いている問私に馬鹿げた喜びを与えてくれた。

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『コックファイター』から
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