モンテ・ヘルマンとの対話 ①

 以下に訳出するのは、モンテ・ヘルマンへの取材記事。ポジティフ誌1973年5月号(聞き手はミシェル・シマン)と、サイト・アンド・サウンド誌1970/1971年冬季号(聞き手はベヴァリー・ウォーカー)を再構成している。

―─どのような監督、あるいは映画作品を特にお好きですか? あなたに影響を与えた監督は誰ですか?

MH 私が映画を作り始めた頃、最も影響を受けた監督は、ジョン・ヒューストンとキャロル・リードだった。自分が今までに観た中で、最も偉大だと思う作品のリストを作らねばならないとしたら、『8 1/2』(フェデリコ・フェリーニ、63)と『仮面 ペルソナ』(イングマル・ベルイマン、67)を挙げるだろう。だがフェリーニやベルイマンが自分に影響を与えたとは思わない。それ以前に影響を受けたものがある。主題に対する私の嗜好に関する限り、オールタイムの私のお気に入り映画は、キャロル・リードの『文化果つるところ』(51)だ。ヒューストンとリードの暗い面には、本当に魅せられる。自分の作ってきた映画は全部、『マルタの鷹』(ジョン・ヒューストン、41)か『文化果つるところ』かのどちらかだったんじゃないかと思うよ。

―─あなたが企画していたものの一つに、『爆発』がありましたね?

MH 1966年から1967年頃にかけて、コーマンとAIPのために作ることになっていたものだ。南部の黒人シェリフについての映画だったんだけれど、土壇場になって放棄されてしまった。黒人たちを敵意に満ちた人間として描いていたからで、AIPの責任者たちは、黒人たちが敵意を持っているってことが信じられなかったんだ! あれで仕事を失わなきゃ大笑いしていたところだったけれど、ある種の人たちの無邪気さには本当に驚かされるよ! 脚本は私の最初の妻と、これまた私が監督することになっていた『マクバード』[ 米の女性劇作家バーバラ・ガースン(1941年~)が1967年に発表した悪名高い風刺・カウンターカルチャー劇にして『マクベス』の政治的パロディ。ケネディ暗殺に続く権力移譲を『マクベス』のプロットに重ねて描く。主人公マクバードはリンドン・ジョンソンをモデルとしている ] で、私と一緒に脚本を書いた人物が執筆したものだった。

──『マクバード』を映画用に脚色する際に、揶揄に対するあなたの嗜好を推進されたわけですね?

MH そうだ。バーバラ・ガースンの作品は大いに気に入った。あれはかなり奇妙な作品で、脚本もそうだった。実は企画自体にはあまり乗り気じゃなかったんだが、興味深いと思えるようなやり方を見つけた。私はバーバラ・ガースンと脚本を書くために、サンフランシスコヘ行った。スタジオ側はわれわれの脚本を気に入らなかった――連中はあれをロバート・アルトマンに監督させたがっていたんだ。だがバーバラは、私と一緒でなければやろうとしなかった。この企画はボビー・ケネディが暗殺されたときに、放棄せざるをえなくなった。

―─子どもの頃はよく映画を見に行っていましたか?

MH 初めて映画を見に行ったのは、四歳の時だったと思う。子どもの頃に見た映画は、私の幻想世界の一部になった……演劇にはもっと本気で興味を持った。ジュニア・ハイスクール時代に役者として舞台に立ち始め、NBCラジオの奨学金を受けてスタンフォード大学に行った。新入生だった年に、ラジオドラマ――『宇宙戦争』みたいな作品だ――の演出をやり、その後舞台劇の演出をした。ラジオの世界に入りたかったんだけれど、叶わなかった。

―─何がきっかけで、スタンフォード大卒業直後にUCLAの映画学科に行ったのですか?

MH 私は写真に興味を持っていた。14歳ぐらいの頃に、自分の引き伸ばし機を作って、いつも写真を撮っては自分で現像していたものだよ。まだハイスクールにいた頃に、ポートレイトを撮ってそれで金を稼ぐようになった。だが結局、偶然から映画の世界に入ったんだ。われわれの劇団が3シーズンで打ち切られた後、私はハリウッドに戻って来て、結婚したばかりの妻を養うために仕事を見つけなければならなかった。それで、週55ドルでABCのフィルム保管室を掃除する仕事にありついた。それは組合の仕事で、そうやって私は映画編集者の組合に入り込んだ。ABCには数ヵ月いて、フィルムの出荷をして働き、最終的にテレビ番組にコマーシャルを挿入する仕事をし始めたんだ。

―─あなたの初期の経験のうち、間違いなく重要なものの一つに、1950年代に舞台で『ゴドーを待ちながら』を演出された事実があります。

MH そう。グループ・シアターから(西海岸で)派生したアクターズ・ラブが使っていた、ロサンジェルスにある小さな劇場で上演したんだ。グループ・シアターは1940年代末にハリウッドにやって来て、そこでいろんな戯曲を上演したり、回り舞台付きの劇場を建造したりした。その後いろんな劇団がこの劇場で活動するようになって、私は1957年10月から1958年6月まで一年間、そこに雇われて、四つの戯曲作品に参加し、その内二作品で演出みたいなことをやった。『ゴドーを待ちながら』とユージン・オニールの『偉大なる神ブラウン』を演出し、ジャン・アヌイの『コロンブ』とウィリアム・サローヤンの『洞窟の住人』で仕事したんだ。『ゴドーを待ちながら』には、ジャック・アルバーソンとジョー・フェイが出演した。キャスリーン・スクァイアとジョージ・ミッチェルが『洞窟の住人』の主役二人を務め、彼らは二人共『断絶』に出演した。ジョージ・ミッチェルは以前『旋風の中に馬を進めろ』に出ていたけれどね。

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【モンテ・ヘルマン研究】

モンテ・ヘルマンとの対話 ④

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モンテ・ヘルマンとの対話 ①


いくつかの原則 
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『コックファイター』から
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