―─どのようにして劇場で仕事するようになったのですか?

MH 大学で学業を終えたとき、サンフランシスコの北から100キロほど行ったところにあるグリーンヴィルで活動していた、サマーストック・カンパニーの「ザ・スタンプタウン・プレイヤーズ」に入ったんだ。そこで俳優もやったし、演出も手がけた。最初の夏シーズンはエムリン・ウイリアムズの『夜は必ず来る』、それから次の夏にはジョン・ヴァン・ドルーテンの『山鳩の声』とジョン・パトリックの『軽率な心』を上演した。三年目にソーントン・ワイルダーの『危機一髪』で演出をやった。2シーズンの間、私は冬にロサンジェルスでスタインベックの『二十日鼠と人間』の演出をした。最終的に『ゴドーを待ちながら』を演出する前に、ジョン・ヴァン・ドルーテンの『ベルと本とろうそく』も演出した。映画を作るようになってからは、もう舞台の仕事はしなくなった。

 こうした経験の後、私はハリウッドに戻って、編集者の見習いみたいなことをやり、それから約一年間、リチャード・ブーンが主役を演じたテレビシリーズ『メディック』(54~56)で編集助手のようなことをして働いた。組合の規則によれば、編集者になるには八年かかった。その八年の間、編集助手をやろうが、太平洋の島で過ごそうが、どちらでもよかった。それで待ちくたびれて、私はあの劇場に籍を置き、いろいろと戯曲を上演することに決めたんだ。そのうちの一本が『ゴドーを待ちながら』だったのさ。

―─編集はUCLAで学ばれたのですか?

MH そうだったと思うけれど、そんなことはどうでもよかった。編集なんて一時間で教わることができるんだ。ABCの後、『メディック』に編集見習いとして参加することになったのも、誰かが辞めていったから一時的に編集助手に昇絡されただけなんだ。しばらくそこにいて、その後ジフ・スタジオに働きに行き、そこでラッシュだとか、ありとあらゆる退屈なしろものをつないでいた。ついに私はうんざりし、演劇を始めるために出て行ったわけだ。

―─なぜベケットとオニールの戯曲を選んだのですか?

MH 『ゴドーを待ちながら』は偉大な作品、たぶん20世紀で最も偉大な作品だと思う。あれは生と死、人間として逃れ得ない宿命の問題、解決のつかない深い問題を扱っている。『ゴドーを待ちながら』には感動し夢中になった。取り組んでいると、いろいろと新たなことをインスパイアし続けてくれるのはあの作品だけだ。われわれは『ゴドーを待ちながら』から絶えずさまざまなことを学び続けているし、私はといえば理解できないままあの作品に取り組むことから始めた。60回ほど上演したんだけれど、上演する度ごとに劇団に影響を与え、切符売りから案内嬢に至るまでが、毎回上演を見物していたよ。オニールの作品はそれほど満足のゆくものにはならなかったが、とても刺激になった。あの作品の主題はディオニュソス神話で、登場人物たちは各々異なる人格を表現するマスクを被っている。とても奇妙な作品なんだ。

―─その後すぐに映画へと移行されるわけですね?

MH ロジャー・コーマンがわれわれの劇団に投資していたんだが、劇場は活動を休止しなければならなくなった。一つには収益が不足していたから、もう一つには二つの対になるホールを作るために、ロバート・リッパートが劇場を二分割してしまったからで、それはある意味で予言的なことだった。それからずっと後になって、私はロバート・リッパートのために、フィリピンで二本の映画を作ることになったんだから! だからロジャー・コーマンは、この出来事のおかげで損をした。彼にとっては本当に異例の経験だったわけだ! コーマンは私に、なぜ映画界に入らないのか、なぜ演劇活動に固執して、「健全に」(これが彼の物言いだった)ならないのかと尋ねた。そうやって、『魔の谷』という映画を作らせてくれたんだ。

―─しかしあなたには、映画作りの経験がまったくなかった!

MH 映画を編集したことさえなかったし、実を言うと撮影に参加したこともなかった。救命胴衣もなしで海へ放り込まれたわけだ! 『魔の谷』は、ロジャーのお気に入りの物語の一つだった。その頃、彼はいつも『キー・ラーゴ』(ジョン・ヒューストン、48)の改作をしていた。あの映画は『キー・ラーゴ』の物語の新たなヴァージョンだったんだ。ギャングとその愛人がサウス・ダコタの丘陵地帯に身を隠す。この設定は注文されたもので、私が選択したものじゃない。私はいつもそんな立場に置かれているんだ。製作者に雇われ、全然気に人らない脚本を渡される。私は製作者に若干の変更を提案し、最終的に脚本はまったく違ったものになる。この映画の場合はっきりしているのは、チャールズ・グリフィスが脚本を書き直し、私は彼と一緒に仕事したってことだ。



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【モンテ・ヘルマン研究】

モンテ・ヘルマンとの対話 ④

モンテ・ヘルマンとの対話 ③


モンテ・ヘルマンとの対話  ②


モンテ・ヘルマンとの対話  ①


いくつかの原則 
モンテ・ヘルマン

『コックファイター』から
      『ボーン・トゥ・キル』へ

チャールズ・ウィルフォード

『墓碑銘(鏡に向かって)』
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