―─どうやって香港からパリに来られたのですか?

MH 船でだよ。そう、中国の貨物船の上で6週間過ごしたんだ。乗客はアメリカ人2人だけで、後は全部、中国人の乗組員だった。香港からハンブルグへ行く間、われわれは決して近づきにならなかった。それでも飛行機よりずっと安くつくし、船を使うことが必ずしも時間の無駄だとは思わない。この種の旅行を初めてするときは(通常私は、大陸間を渡るにあたって、こういう移動の仕方をする)、非常に長い間人と接触しないんだと思うと、とても不安になる。自分が関わっている映画をめぐって重大な決定が下されることになるんじゃないだろうか、と。それから数週間後に上陸すると、プロデューサーが相変わらず金を工面していなくて、俳優は相変わらず拘束されていて……、その間ずっと何も変わっていなくて、すべてを自分が置いて出て行ったときのまま、取り戻すことができたんだと知る。前回の旅の間、もちろん私は大半の時間を読書して過ごした。初めて『白鯨』を読んだんだが、素晴らしかった。まさしく小説の舞台となっている、海の上でね!

──あなたの映画では、『断絶』に出てくるGTOのような人物を除いて、台詞は常に非常に機能本位で、非常に簡潔です。しかしウォーレン・オーツのしゃべり過ぎは他の人物たちの沈黙と同じように機能しています。しゃべり過ぎることで、彼は自分を守っているのです。

MH 私は脚本を執筆していないけれど、あの脚本には自分でも好きで気に入っているものがあって、それを脚本家たちもはっきり意識していることは確実だ。機能的な台詞は好きだし、物語ができる限り台詞を排除して語られているのも好きだ。『断絶』にあっては、物語は西部劇よりもずっと言葉によって語られるところが少ない。そこでの台詞は本当に単調で、ほんの少ししか“プロット”そのものと関係を持たないんだ。映画に出資する人たちが台詞を読んでも物語を理解することができないんだから、この種の映画を作るのは往々にして難しいものだよ。そこには物語がないんだからね。映画にするにあたって成功したところがあるとしたら、私にとってそれは登場人物たちが話していること以外の面で彼らを深く理解することができたって点だね。『断絶』は愛の物語なんだけれど、映画の中で人物たちは決して愛を語りはしない。

──ワーリッツァーの脚本にはどこに興味をそそられましたか?

MH 彼のユーモアのセンスが好きだった。彼はひどくおかしかったな。脚本はおかしさに満ちていると思う。

──御自分の映画をおかしいと思われますか?
MHうん、『銃撃』は喜劇にしようと思って手がけた……今もあの映画は喜劇だと思っている。

mozi - モンテ・ヘルマン研究- 遠山純生-
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【モンテ・ヘルマン研究】

モンテ・ヘルマンとの対話 ④

モンテ・ヘルマンとの対話 ③

モンテ・ヘルマンとの対話 ②

モンテ・ヘルマンとの対話 ①


いくつかの原則 
モンテ・ヘルマン

『コックファイター』から
      『ボーン・トゥ・キル』へ

チャールズ・ウィルフォード

『墓碑銘(鏡に向かって)』
ジャック・ニコルソン&
           モンテ・ヘルマン


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