──なぜ今西部劇なのですか? シネフィルゆえの、過去の手本との関連からですか? あるいは現在のアメリカにも関係しているのですか?

MH どちらでもない。時間の隔たり──100年経っている──が、物語に対する距離をもたらす。私は西部劇が好きだ。西部劇は私に枠組み、物語を語るための形式を与えてくれるからね。西部劇はもっと詩的なものになり得る。そしておそらく観客は、現代の物語よりも西部劇の方が、 [ 自分たちの抱える ] 人生の困難な状況に近いものを描いているように感じるだろう。思うに、人は同時代の物語に対しては関心が薄れがちだ。西部劇なら、疑問の余地なくひと目で「西部劇だ」と認識できる。だからそこに心地よく身を落ち着けることができるし、入り込むことができるし、それに、夢想することができる。もっと容易に自分のイマジネーションを解き放てるんだ。私の最新作『チャイナ9、リバティ37』の物語──男女間に永遠に横たわる状況のようなものだ──は、どんな時代にも起こり得るものだろう。だがこの物語は、西部劇の時代の方がより真実味がある。(あの時代には)肉体関係を結ぶことや名誉(貞節)に対する、より強い意識があったからだ。現代の物語を基にしてメロドラマを作るよりも、西部劇を基にしてメロドラマを作る方が簡単なんだ。実際、現代の登場人物たちは、(この映画で描かれているのと)同じ状況に(この映画の登場人物たちと)同じやり方で反応しないだろう。たとえ彼らが同じことを経験したとしてもね。


──『旋風の中に馬を進めろ』や『銃撃』といった、あなたが作った他の西部劇と比べて、『チャイナ9、リバティ37』はどのような位置にあるものですか?

MH あの2本の西部劇を撮ったとき、私が興味を抱いていたのは、以前に作られていたものとは違った何かを作るということだった。アンチ・ウェスタンを作りたかったんだ。あらゆることはすでに言い尽くされていると思ったからね。たとえば、古典的な西部劇では、若い男が娘を納屋の中へ連れて行くと、人は2人の間に何か起こるんだなと予想する。だから『旋風の中に馬を進めろ』では、そういう瞬間には何も起こらなかったんだ。



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【モンテ・ヘルマン研究】

モンテ・ヘルマンとの対話 ④

モンテ・ヘルマンとの対話 ③

モンテ・ヘルマンとの対話 ②

モンテ・ヘルマンとの対話 ①


いくつかの原則 
モンテ・ヘルマン

『コックファイター』から
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チャールズ・ウィルフォード

『墓碑銘(鏡に向かって)』
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